創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日蓮正宗の宗是

多くの企業に「社是」があるように各宗派にも「宗是」があります。「宗是」とは簡単に言うとその宗派における理念・方針です。日蓮正宗における宗是は、【受持正行】【謗法厳誡】【折伏正軌】の3点です。説明するまでもなく、【謗法厳誡】とは自行門であり、【折伏正軌】とは化他門となります。とはいってもこの2点は一体です。【謗法厳誡】を実践しようと思えば自ずと折伏しなければなりません。なぜなら謗法とは自身が犯すだけに留まらないからです。日蓮大聖人は、

法華経の敵を見て責め罵り国主にも申さず人を恐れて黙止するならば必ず無間大城に堕つべし、譬えば我は謀叛を発さねども謀叛の者を知りて国主にも申さねば与同罪は彼の謀叛の者の如し、南岳大師の云く「法華経の讎を見て呵責せざる者は謗法の者なり無間地獄の上に堕ちん」(秋元御書)

と言われ、日興上人も

◇謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事(日興遺誡置文)

と言われているように「謗法与同」もまた謗法だからです。私達が生活していくに当たりこの「謗法与同」は常に付きまといます。家族や友人・知人などまだ折伏していない人達が周囲にいる限り我々は日々【謗法与同】をしているわけで、それが罪障消滅を遅らせている一因になっています。

◆設い謗身は脱ると云うとも謗家謗国の失・如何せん、謗家の失を脱れんと思はば父母・兄弟等に此の事を語り申せ、或は悪まるるか・或は信ぜさせまいらするか、謗国の失を脱れんと思はば国主を諫暁し奉りて死罪か流罪かに行わるべきなり(秋元御書)

との大聖人の御妙判にあるように、自分が信心をしていても家族が未入信であれば【謗家】の失となり、家族が信心をしていてもその他の周囲の人が未入信であれば【謗国】に失になります。これらは全て自分自身の【謗法与同】の罪なのです。そしてこの謗法与同を逃れるためには大聖人の仰せの様に大聖人の仏法・信心を語っていく化他行(弘教)をしなければならないのです。折伏の結果がどうであれ語っていく(下種)していくが自身の一生成仏・臨終正念になるわけです。その化他門の基本が【折伏(正軌)】なのです。語っていく(下種)するのが折伏です。いくら相手の幸福を祈っても正法を語らなければそれは摂受であり末法今時の修行となりません。もちろん折伏弘教は確かに相手の幸福を願うという一面もありますが、このように自分自身の謗法与同を誡めるという一面も有ります。これは【折伏正軌】の化他門は【謗法厳誡】の自行門でもあるということです。ですから【謗法厳誡】と【折伏正軌】とは不二の関係なのです。そしてこのふたつを束ねているのが【受持正行】です。【受持正行】とは簡単に言えば日々の勤行・唱題行のことです。朝晩の勤行・唱題の中に、【謗法厳誡】の自行門も【折伏正軌】の化他門も含まれるのであり、勤行・唱題こそ宗是の一番のキモなのです。大聖人も日興上人も御歴代上人もそして所属寺院の御僧侶方も全員が勤行・唱題行を口を酸っぱくして御指南されるのはこのためです。勤行・唱題行が無くして謗法厳戒も折伏もないのです。ですからまずは日々の勤行・唱題行をシッカリと実践することが一生成仏・臨終正念の要となります。ですからインスタント勤行の創価や5分唱題勤行の顕正会折伏広宣流布などできる道理はありません。そもそも創価活動家なんて勤行唱題もろくすっぽしないで学会活動ばかりやっているし、永遠の師匠の池田大作からして0分勤行ですから話になりませんね。もっとも、池田創価の宗是は、【謗法全開】【公明狂気】【維持聖教】ですから、インスタント勤行で十分なのかもしれません。もちろんそんな創価信心で一生成仏することはありませんけどね。これが戒壇大御本尊(御本仏)から離れた異流儀の信仰です。なんとも哀れですね。

 

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