昨日書きましたが、久しぶりにオモシロ学会員さんがコメントをくれたのでそれについて。
HNすら名乗らない学会員さんなのでオモシロ学会員さんと呼ばせていただきます。
なにが「オモシロ」なのかというと、相変わらず稚拙な「大作教学」を臆面もなく披露しているところですかね。
まぁ、オモシロさんが何をどう思うと関係ないっちゃ関係ありませんが
「大作教学」ごときをもって、日興門流を「日顕宗」などと呼ぶのは
日蓮門下・日興門流として看過できないし、
オモシロさんの言っていることが「大聖人仏法」であるかの如く騙されてしまう初心の会員さんのためにも
「大作教学」がいかに稚拙で、それを間に受けている学会活動家がいかに不勉強か指摘しないといけないからね。
さて、オモシロさんが言うには、
私は学会員で自分の内と外、この宇宙に遍満する妙法を信じています。
だそうです。この「妙法宇宙遍満論」。じつにこれこそ「大作教学」の中心になる教義ですね。
「妙法は宇宙の法則」とか「妙法が宇宙に遍満している」とか
この考えは「理」と「事」をまったく理解できていない人間の言いそうなことです。
違う言い方をすれば、釈迦仏法と大聖人仏法の違いが分かっていない。ということです。
「妙法が宇宙に遍満している」というのは、あくまで「理」としてはそうである。ということです。
同時に「自分の中に妙法が存在する」とう発想も「理」です。
天台六即に配すれば「理即」ということですね。
そもそも、「宇宙に遍満している妙法」とは、法身だけで、報身と応身が欠けているので三身具足していない。
三身が具足していないということは、三学も具足していないということなので「妙法」と言わない。
そんなものを信じようと貶そうとなんにも起きないのは明白です。
では、妙法はどこに存在しているかといえば
◆至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す(当体義抄)
◆釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき(三世諸仏総勘文教相廃立)
との二つの御文に明らかなように、大聖人の色心二法。要するにご本仏の報身の中にしか「事」として存在しない。
「宇宙に遍満している」などと外道義そのものだ。
御本尊は自分の内と外とを結び妙法の力を最大限に発揮させるものでそれは「利、美、善」の方向に働く「幸福製造機」なのです。
これも、全くの邪義で、
◆無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり(御義口伝巻下)
さらに、
◆本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。(御義口伝巻下)
◆日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ(経王殿御返事)
との御文を読めば、ご本尊が「幸福製造機」などと思うことがいかに不敬であるかわかるだろう。
また、内と外を結びつけるなどという無知を晒しているが、
◆天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす(持妙法華問答抄)
とあるように、人(仏)以外に法を顕す「機械」など存在しない。のである。
この部分は「人法一箇」をまったく理解できていないという自身の無知をさらけ出しているようなものだ(笑)
「幸福製造機」だから尊いのではない。御本尊はご本仏の色心二法であるから尊いのである。
日顕宗が独占するものではありません。
ここも、本当に無知・無惨な学会員のいいそうなことでアキレルが
学会員ってのはまさか「法体」を自分も持っている。とでも思っているのだろうか?
◆戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり(御義口伝巻下)
◆此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり(三大秘法禀承事)
との御文に明らかなように、「法体」は大聖人お一人が所持しているのである。
つまり「大聖人だけのモノ」なのである。
それ故に大聖人がご本仏なのだよ。
日興上人以下のご歴代ですら「法体」そのものは持っていない。
内証を血脈相承しているが、「究竟即」ではないのだよ。
日興上人は「分真即」以下ご歴代は「相似即」だ。
これでわかるだろ?大御本尊(大聖人)が「独占」しているのだよ。法体ってのは。
謗法不信の創価ごとき者は、大聖人=ご本仏ということすら忘れたのか?
もとより法体の仏力・法力は信心する全ての人に開かれているが、
大御本尊を不敬した創価信者に、法力・仏力の「おすそわけ」などないのだよ。
「一身の安堵」には「四表の静謐」が前提だが、祈りは勿論早く悪施を止めなどの具体的な行動は創価学会は公明党支援を通して行じ、弱者支援等充実し公正になってきたと実感するが日顕宗の「四表の静謐」への祈りと行動は?
ついでにこれも破折しておくか。
公明党支援が「四表の静謐」への祈りと行動とか完全にお笑いなのだが、
いうまでもなく、「一身の安堵」「四表の静謐」とは「立証安国論」のなかの言葉だ。
「立正」によって「安国」になるという法理なのだが、「立正」とは何かもこの人は知らない。
公明党支援活動が「立正」など、一体どこにそんなことが書いてあるのか(笑)
本当に、オモシロ学会員だね~(笑)
立正の「正」とは、三大秘法のことである。
「三大秘法」を立てることが「立正」なのである。
三大秘法とは一大秘法に集約される。
故に大御本尊へ祈りが「四表の静謐」への祈りの根本である。
それが前提の前提。大前提である。
正宗の丑寅勤行などはまさに四表の静謐への祈りの最たるものだろう。
大作センセは毎日、丑寅勤行してるのか?
五座三座すらできない創価には土台無理な話だろう。
そもそも、創価は一大秘法の大御本尊を不敬しているのだから
「大前提」からして狂っているのだよ。
なので、創価に「立正安国」の、祈りも行動もないのである。
それに、今の公明党は「安保法案」に賛成するなど
誰が見ても「四表の静謐」を祈っているような政党など思えないだろう(笑)
まぁ、ツッコミどころはまだまだあるが、
もう面倒なのでこのへんでやめておくよ(笑)
しかし「大作教学」を語るのもいいが
少しは「御書」を引用したらどうか?
こんなんだから、いつまでたっても学会員は教学が身につかないのである。
教学が身につかないから「邪義」「我見」を連発するのである。
オモシロ学会員さん、「御書」を読みなさいよ。ホントに(笑)