創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(29年度10月座談会御書・阿仏房尼御前御返事)

弥信心をはげみ給うべし、

仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、

よしにくまばにくめ法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言に身をまかすべし

如説修行の人とは是れなり

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今月の座談会御書は「阿仏房尼御前御返事」

別名「畷堅固御書」です。

「畷(なはて)」とは、田んぼの畦・土手のことで

本文の

◆なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、

謗法不信のあかをとり信心のなはてをかたむべきなり

から「畷堅固御書」という別名がついてます。

さて今回の御文で重要となるキーワド・ポイントは

「如説修行」でしょうね。

創価バリ活風に講義をするとしたら

この信心をすれば嫌われたりすることもあるだろうけど

相手に嫌われても憎まれても学会の正義を語ることこそ如説修行なんだ!

って感じになるのでしょうが

この御文をどう読んでみても

創価バリ活の言うような結論には至らないですなぁ。

◆仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし

この部分は、仏法(正法)を語れば三類の強敵は出現する。ということです。

そしてこれは「如説修行」自体の説明ではなく

「如説修行」をすることによって

起こること(三類の強敵が現れる)をご教示されているところです。

創価バリ活がいうような人様に憎まれることが「如説修行」ではない。

ということです。

では、如説修行とはどのような修行かというのは次下の

法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言に身をまかすべし

この部分です。これが「如説修行」をご教示されている御文です。

この御文と同じことが「如説修行抄」にも書かれています。曰く

◆問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや(中略)

所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり(如説修行抄 )

如説修行とは、人師・論師の説を用いるのでなく

あくまでも「仏の金言」即ち「如説」を用いることをいうわけです。

そして「仏の金言」のまま修行すると

男女僧尼に必ず憎まれる・・・三類の強敵が現れるわけです。

では「如説」とは具体的には何を指すのか?

「御書」・・それも正解なんだけど、

もっと根本的な「如説」があります。

法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言

この部分が「如説」です。

法華経」とは「法」で

「釈迦仏天台妙楽伝教章安等」とは「人」になっているのがわかりますよね?

この「法」と「人」の二つはこの御文では一体として書かれています。

つまり仏の金言とは「人法一体の体」なのです。

「如説」の文字も見ればわかると思いますが

「如」は「如来」ですから「人」です。

「説」は「説法」ですから「法」です。

このように「如説」とは「人法一体の体」を言うわけです。

また「如来」は「人」ですから「色法」

「説法」は「法」ですから「心法」ということになり

「如説」とは仏の「色心二法」ともいえます。

さぁ、ここまで書けば余程の謗法不信のものでない限り

大聖人のいう、仏の金言(如説)は何か?わかりますよね?

そう、人法一箇・ご本仏の色心二法の当体

「弘安二年ご建立の本門戒壇大御本尊」が

大聖人仏法の文底真実の「仏の金言」「如説」なんですね。

ちなみに創価コピー本尊は見た目はコピーですから大聖人の本尊風ですが

肝心な「心法」がありません。

ご本仏の「心」はコピーできませんからね。

ですから「如説」でないというわけです。

そして

◆身をまかすべし

この部分が「修行」です。

具体的には自行化他の本門の題目です。

「修」とは自行・「行」とは化他行です。

まとめると「如説修行」とは

戒壇大御本尊」に信をとり唱題し

戒壇大御本尊」を語ることです。

たとえそれで憎まれてもいい。と覚悟を決める人が如説修行の人である

その人を法華経の行者と呼ぶのです。

ただ、言っておきますが「憎まれるような言動をしていい」

というこではないので勘違いしないでくださいね。

では、今の創価バリ活は如説修行の人ですか?

大御本尊を信受していないなのだから

如説修行の人ではありませんね。

つまり法華経の行者ではない。ということです。

彼らは「仏の金言」を捨てて、大作センセや創価上層部の

「人(凡夫)」の言葉だけを用いている人たちです。

そんな彼らが人々から疎まれ嫌われ憎まれるのは

全く日蓮大聖人とか関係ありません。

創価と彼らバリ活自身の言動が嫌われているだけの話ですね。

そりゃ嫌われますよ。

なにせ、彼らは自分達の都合や要求ばかりしかしないのですから。

ワンウェイコミュニケーションでは他人と仲良くなれるはずがありません。

それに彼らは学会活動をして「嫌な思い」をすると

「嫌な思い」をさせた側を三類の強敵のようにいいますが

むしろ「嫌な思い」をしているのは創価バリ活の周囲の人々の方です。

悪いのはむしろ創価バリ活の方です。

選挙だの新聞だの用もないのに勝手に頼んできて

そんなもの(創価のやっていること)に興味ない人間が

どれほど迷惑で嫌な思いをしているのか考えたことありますか?

あ!バリ活は自分は嫌な思いなんてしないか。

一方的に周囲の人達に嫌な思いをさせているだけでしたね(笑)

しかも仏法の道理すら知らないから「騙り」はできても「語れない」ですもんね。

信心ある学会員さん!

そして自身の人生を本当に変えたいと願っている悩める学会員さん!

一日も早く大御本尊への信を取り戻してください。

訳があり創価を退会できない人でも

大御本尊への信を取り戻せば必ずいい方向に進みます。

今回の御書の最初の方に

◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり

とあります。創価にいるのは謗法ですが大御本尊への信を取り戻し

創価の謗法の手助けしなければ深い罰を受けることはありません

小さな謗法よりも信心の方が強いからです。

今日からは「弥信心をはげみ給うべし」となられる事を願いっています。


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