創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

わが友に贈る(2016年10月16日)より

友の面倒を見た人

支え続けた人には

誰のかなわない。

その人こそ最極の人生を

飾りゆく勝利者なり!

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「言葉と共に生きていく・聖教新聞」なのに

どうしてこう「言葉遣い」を知らないのかなぁ。って思う。

「面倒を見る」と「世話をする」

同じ意味には違いないが、

日本語的には「面倒を見る」というのは

「厄介である」とか「大変である」とかいう意味も含まれるので

自分の目上の人には使わない。

つまり、「友の面倒を見る」というと

友は自分より「下」であり、友の面倒をを見るのは「厄介」ってニュアンスになる。

それってなんだから上から目線じゃね?

「友のお世話をする」っていう方かいいんじゃね?

根本が上から目線の創価幹部らしい言い方っちゃ言い方だが。

まぁそれはさて置き、創価幹部活動家さんが

「友を面倒見る」のは無理でしょ。

そもそも外部に「友」がいないじゃん。

え?「俺は外部に友人かいっぱいいる」って?

だったら、なんで折伏して本流しないのさ?

いっぱいいるんでしょ?友人が(笑)

まぁまぁ、見栄はらなくていいから(笑)

友人ってのは自分がそう思ってるだけでしょ。

となると、君等が「面倒を見る友」ってのは内部の学会員さんのことだね。

で?どうやって面倒見るの?

お金のない人にはお金をあげる。

仕事のない人には仕事を与える。

嫁の欲しい人には女を紹介し

病気に人には付き添い。

寝たきりの人には介護する。

「面倒を見る」ってのはそういうことだよ。

口先で簡単に「面倒見る」「支え続ける」なんていうけど

本当にそういう覚悟あるの?

そもそも学会総体として会員さんの面倒なんてみてないじゃん。

創価の中にどれほど生活苦の人がいると思ってんの?

そんな人たちにお金とかあげてんの?

あげないよな。そりゃ。

あげるどころか、「経済苦のいまこそ財務を頑張るとき」

なんていって巻き上げてんじゃないの。

所詮、君達の「面倒を見る」ってのは

悩める会員さんを、学会活動すれば功徳があると

だまくらかしして活動家にする。って話じゃん。

え?騙してないって?

だったら、戒壇大御本尊を棄てた創価にどうして功徳が出るのか

ちゃんと答えてみてよ。

答えられないでしょ?

だって出ないもん。功徳は。

そこから先は自己責任でしょ

何かあれば「活動を頑張る」とか

「お題目を上げる」とか

愚にもつかない指導?して

「面倒見た」気分に浸っている患部をいっぱい見てきてよ。

これのどこが、最極の人生の勝利者なのさ。

むしろ最悪の人生の落伍者としか思えない。

「言葉とともに生きていく」ってのは

「言葉巧みに会員をだまくらかして生きていく」そういうことなんだね~。

まぁ、「聖教新聞社」というネーミングだって

いかにも一般法人のように思わせる詐欺に近いネーミングだもんな(笑)

ともあれ、創価活動家のみなさんには

「できもしないこと」を「やろう」なんて思わないで欲しいな。

一度拾った捨て猫を、今度は保健所に持っていく。

君らの「面倒見る」ってのはそれと同じなんだよ。

他人の面倒を見てる暇があったら

自分の親や子供

旦那や奥さんを

まずはキチンと面倒見れるようになってからにしなさいな。

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