忙しくて、暇のない中
また、たつやさんからのコメントがあったの
でちょっと書いておきます。
>たくさんコメントありがとう。
あなた方がどんな組織についてるか、大体分かりました。日顕宗だね。
あなた方のような人がいるから創価学会があるんですよ。
まず冒頭から。
せっかく、みなさんがたつやさんに心からのコメントくれましたが
どうやら、彼には届かなかったようで
のっけっから、この発言です。
こうして学会の批判をする人間には
外部だろうが、内部だろうが「日顕宗」と呼び捨てる。
これも学会活動家のワンパーンですね。
架空の宗派とはなんなのか?
そして何故、彼にコメントした方々が日顕宗なのか?
そうした理由を一言も書いていません。
そしてこうして相手を「日顕宗」などと呼び捨てる背景には
「自分の言ってることこそ正義」という
他者を見下す傲慢さと自信のなさが透けて見えますね。
俺からしてみれば、彼の方こそ大聖人仏法を愚弄する
「池田教」「創価教」にしか見えませんね。
◆仏の御定を背きて菩薩人師の立てたる宗を用ゆべきか菩薩人師の語を背きて仏の立て給へる宗を用ゆべきか(法華初心成仏抄)
仏(大御本尊)をすて、人師(センセ・創価上層部)の立てる教義を用いてる様は
「池田教」「創価教」と呼ばれても仕方ないですな。
>謗法の事、見ましたけど、何言ってるの? て思います。いつ捨てた?
意味分からないですね。
去年の11月7日に大御本尊を捨てましたよ。
まさか、聖教新聞読んでないとか?(笑)
まさか、「大御本尊は信受しないけど捨ててない」
などという小学生にも通用しない詭弁をつかうわけではないでしょうが。
自分で是非調べて欲しいもんです。
「大御本尊も本門本尊だけど信受しない」こんな話は通用しません。
彼は本門本尊とは何だと理解してるのでしょうか?
まだ、任用試験も受けてない未教学の活動家でしょうかね。
>財務いや?
払いたくなきゃ払わなければ良い。
ただ組織を運営する為にお金は必ず必要。そこから先は個人の善意です。
ここはいいこと言ってます。
彼が言う通り、学会の財務は会の運営費です。
つまり、大聖人に対するご供養ではないのです。
ただの会費です。
ただの会費ですから当然功徳などありません。
それを分かっていて創価学会に財務をするのは
個人の善意なのでそれを否定はしません。
ただ、会員さんに対して
「財務には功徳がある」というからいけないのです。
単なる創価の運営費に功徳など無いのに
あたかも功徳があるように言って財務を促す。
世間ではこのような行為を「詐欺」と呼びます。
たつやさんも個人の善意でとどめて欲しいですね。
会員をだますような詐欺行為をするのだけはやめてほしいですね。
財務は単なる運営費とわかってるなら尚更そう思います。
>富士大石寺?
破壊した罪は大きい。
知らないとは言わせない。
仏法は厳然、必ず現罰受ける
どうやら正本堂のことをいっているみたいです。
正本堂にご供養してたのは学会員だけ。と思っているようです。
こんなこと言ってる当の本人は正本堂に供養したのでしょうか?(笑)
ここでも、正本堂を解体してことで罰が出る。
という論拠が全くありませんね。
仏法的に言えば、学会は正宗を謗法と言ってるわけだから
その謗法に供養した象徴である正本堂が解体されたのだから
むしろ喜ぶべきでしょう。謗法への供養がなくなったのですから。
また、正宗側いえば大御本尊を捨てた団体の供養で建設した正本堂などに
大御本尊をご安置できるわけがない。
謗法からの供養は受けられないわけですからね。
なので、仏法的観点から見れば
正本堂解体は双方にとって当然の帰結で、ウダウダ言うほどのことではありません。
>ここにコメントする方はただの評論家気取り。中身のない話。行動が伴わないただの会話だけ。
いかにも自分だけが行動してると言わんばかりですね。
前回、あれほど次は文証・理証を示してくだいといったのに今回もなし。
「学ぶ」という「行動」をしていないのに他人のことを批判する。
これまた学会活動家の特徴のひとつですね。
そもそも、広宣流布の行動とは「言論戦」です。
敵を破折するのも、友を折伏するのも言論戦なのです。
その言論戦をできないので、何の行動をするのでしょうか?
嫌がる知人を拉致して無理やり入会させたり
敵対する団体に暴力をもって屈服させる
言論戦ができない行動とはそんなものです。
それがしたいのなら、学会でなく顕正会をおススメ!します。
>あと、今創価学会である事に何の
疑念もないし不満もない。
あなた方の勝手な妄想です。
いまのたつやさんの発言を読めば誰でもそう思いますね。
疑念も不満もない。とは思っていない・
ということこそ、たつやさんの妄想ですね。
とまぁ、一通りたつやさんのコメントへの所感を書いてみた。
前回同様、文証も理証も学会指導すらないコメントで
単なる負け惜しみにしか聞こえないなぁ。
これじゃ自称活動家として
創価学会に恥の上塗りしてるのではないかな。
活動家は概ねこのタイプなのだが
対話の一つもまともにできずに
自分達の正義だけを振りかざすのでは
彼らに広宣流布などできるはずもない。
まぁ、この程度の会員が活動家ならば
創価もこれ以上は拡大しないだろうから
安心といえば安心だが(笑)
まぁ、今の創価活動家を一言でいうと
◆をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者ども(聖人御難事)
といったとこだな。
いつの時代も大聖人仏法から退転する人間の本性は変わらないんだな。