創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

法華講員さんにもダメ出ししてきた。

今日のブログは2本立てでいきます。

さて、母の正宗への再入信は無事に終わったが

勧戒式までの、K寺での控え室でのこと

今回紹介者となった法華講活動家のYさんが

しきりに、創価の御本尊を「ニセ物」「魔札」と母に説明していた。

俺は、創価の本尊をそんな風に思っていないで

Yさんに「そんなこと言うもんじゃないですよ、私はそうは思ってないし」と言うと

Yさんは「そんなことはない。学会の本尊はニセ物ですよ」と言うので

「そんなこと言っているから、法華講の人は折伏できないんですよ」と一言。

そこから、しばらく法華講員さん達にダメ出し。

なんとダメ出ししたかというと

この法華講員Yさんのやり方では折伏はできない。

そりゃ多少はできるが、やり方が間違っている。

逆パターンで創価活動家が未活の法華講員のところに行って

「お寺は間違っている」といのもダメ。

実はコレって意外とやっちゃう人が多い。

Yさんが母に最初の頃にコレをやってた。

創価の未活の人に、「創価の本尊は間違っているんですよ」っていきなりやっちゃう。

もし、「創価の本尊が間違っている」ということが真実であっても

それを口に出してはいけない。

折伏ってのは、その目的によって2パターンある事を知ったほうがいい。

一つは「法論」で、もう一つは「弘教」だ。

そのどちらが目的なのか考えないといけない。

目的が「法論」ならば、いきなり「創価の本尊はニセ本尊」って言ってよし。

「法論」の相手は、創価の活動家であり

その目的は「破折」だ。

その場合は、「第一義悉檀」「対治悉檀」を前面に折伏する。

そのような「破折」の場合は、相手を退会させ正宗に戻すことはほぼ不可能である。

「破折」されて宗旨変えをするほどの人物ならば

創価の活動なんてとっくにしていない。

なので基本的にこういう活動家は相手にするだけ時間の無駄である。

なので、基本的に法華講員さんが話に行くのは「法論」が目的ではないはずだ。

目的は「弘教」だと思う。

だとしたら、いきなり「創価の本尊は間違っている」というアプローチでは成功しない。

「弘教」が目的ならば、「為人悉檀」「世界悉檀」を前面に折伏しないとダメなのだ。

宗門から創価が離れ四半世紀も経っいる。

この間どんな理由であれ創価に籍を置き

創価の御本尊をご安置している人に

いきなり「その本尊は間違っている。偽物ですよ」と言ったら

言われた方は、いい気分になるはずがない。

創価の組織についていなくても、創価の組織が嫌いだという人でも

「あなたの家の本尊はニセ物」なんて言われてなくない。のだ。

それを先に言ってしまったら

それは「弘教」をしに行ってるのでなく

「法論」をしに行ってるのと同じだ。

「法論」をしに行っちゃってるんだから、「弘教」など実るはずがない。

「何を言ってるんだ。それが折伏じゃないか」

と反論のある法華講員さんもいるだろうが

折伏ってのは何も「破折」をすることだけが「折伏」じゃない。

そりゃ、学会の本尊はニセ物だ。

と破折して入信させることが出来れば大満足かもしれないが

それは、単なる自己満足であって、

本当に「弘教」をしたいのならば、そんな自己満のこだわらないほうがいい。

「じゃぁどうすんだよ?」ってことになるが

「弘教」の時は「弘教」をすればいいだけの話。

「学会の本尊はニセ本尊」なんて余計なことは言わないで

ひたすら、大御本尊の素晴らしいさを語ればいいのだ。

学会の御本尊も大御本尊から出ている事を語ればいい。

そして最後に、大御本尊に直接つながっている

日蓮正宗のご本尊様に取り替えませんか?とか

一緒に大御本尊様に会いにいきませんか?と言えばいいのである。

それが、言えるのは日蓮正宗法華講しかいないのだから

もっと自信をもって大御本尊を語ればいい。

相手の御本尊をニセ物というのは

創価法華講員の家に行って「ニセ法主」と言ってるのと変わらない。

そんな創価と同じロジックでやる必要ない。

とまぁ、こんな風な内容の事を

母の勧戒式というおめでたい席で

正宗寺院の控え室で

講頭さん、総代さん、法華講員さんに向かってダメ出しする俺。

つくづく、組織に馴染まない人間なんだなぁって

我ながら思ったよ(笑)

でも、全国の法華講員さんには言いたい。

大聖人様がおわしますのは、大石寺しかないのである。

大御本尊の正義を堂々と語れるのは法華講員しかしなのである。

創価ニセ本尊論」など語る必要はない。

もっと自信を持って学会員に大御本尊を語って欲しい。

俺から見ると、そんな「弘教」できる法華講員さんが羨ましいよ。

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