創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

退転者製造機

創価幹部・活動家が「退転者」と呼ぶ会員。

すなわち、創価組織・学会活動から離れていく会員だが

そんな退転者はどうして生まれるのだろうか?

幹部・活動家には

「麗しい創価の世界にいられなくなった」

「信心がわからず学会の活動についてこれなかった」

「幹部や同士を怨嫉して組織から離れて行った」

などなど、言いたい放題言われるが

本当はそうじゃない。

そうやって組織から離れていった会員を

悪し様に言うような幹部・活動家が

彼らの言う「退転者」を生んでいるのである。

全てとは言わないが、組織で活動していた会員が

組織を離れる原因のほとんどは「幹部」にあると言っていい。

事実、我が母が退会を決意したのは、婦人部長さんの

創価から離れたら最後は一人ぼっちで淋しい人生を送る」という

その一言が決め手だったのは前回の記事に書いたとおりである。

母に限らず、俺が見てきた創価から離れた人々は

ほぼ全員が、ワケのわからない幹部の言動が原因で

組織を離れたり創価を退会したりしている。

その逆、つまり会員さんが嫌で

組織から離れる幹部はみたことも聞いたこともない。

創価の会員が組織から離れる原因の8割がたは

創価活動家幹部の

理不尽な指導

不誠実な振る舞い

無責任な言動

なのは間違いない。

以前、池田センセは「青春対話」の中で

イジメはイジメる側が100%悪い。と言っていた。

その方程式ならば、退転していく会員は悪くない。

退転させる幹部・活動家が100%悪いのである。

一人の人間が入会をし、さらに学会活動をするようになるまでに

一体どれほどの人が祈り・動いたと思っているのか?

折伏をした人・家庭訪問を重ねた人

そうした多くの人が関わって一人の会員が活動するようになるのである。

そのような思いで、ようやく創価の組織につかせた会員を

その作業に全く携わっていない幹部が

いとも、簡単にそうした会員さんを退転させるのである。

もし、その幹部が折伏した人を別の幹部か退転させたらどうだろう?

おそらく烈火のごとく怒るだろう。

もし、その幹部が家庭訪問を繰り返し発心させた会員さんが

別の幹部に退転させられたら

その会員さんを「退転者」「信心が分かっていない」などど言うのか?

絶対に言わないはずだ。

なのに、自分と無関係な会員には平気で、「退転者」というのだ。

ネット活動家が、創価の組織を離れた人間を

平気で「退転」「臆病者」「怨嫉」「傲慢」「我が儘」などと平気で書けるのは

まさに、自分と関係ない会員だからである。

そして、そう言う活動家こそ「本当に学会活動をしたことない」

口先活動家なのだろう。

「本当に」折伏や家庭訪問をしたことのある活動家ならば

滅多矢鱈に創価の組織を離れた会員を悪し様に言うことはできないはずだ。

その苦労を分かっていれば絶対に簡単に「退転者」だの

ましてや「日顕宗」だのという言葉を、同じ会員に向かって吐けない。

さて、そうした活動家幹部のような人間を、

大聖人は「魔」といい、「悪知識」と呼んだ。

創価が正しい。というならば、

その創価の組織から退転させる幹部・活動家こそ

「魔」であり「悪知識」なのだ。

そして、そんな幹部・活動がうじゃうじゃいる創価の組織は

「魔」の集まりであり、「悪知識」のたまり場である。

つまりは、創価の組織が「正しくなくなっている」のは

そうした活動家幹部が組織の中に存在しているからなのである。

しかも、卑劣なことに彼らは決して自分達の非をを認めない。

認めないどころか、冒頭に書いたように

創価の組織から離れた方が悪い。と居直り

挙げ句の果てには、組織から離れた人間を「退転者」と呼び

信心がなかっただの、ワガママだの、怨嫉だのと

罵倒するのである。

そうすることによって、「自分達は悪くない」と

なにかにつけてアピールするのである。

そして創価の組織もまた、

やめた人間より、やめない人間を大切にするから

組織から離れた人間には厳しく言っても

組織に残った(退転者を出した)人間には何も言わない。

だから、益々幹部は調子に乗り好き勝手を言い出す。

その最たるものが、本尊義の変更である。

「何があっても組織から離れたら負け」

そんな指導もどきが当然のように昔からいわれる。

それなら、別に負けでいい。

もう、アフォな幹部には付き合ってられない。

それが、組織から離れる会員の言い分であり

それは、正しい。

でも考えようにとっては、それは大聖人のお計らいだろう。

こんな、無知で無責任で卑怯な幹部・活動家がいる限り

創価の活動家は増えない。

増えたとしても、同じような人間だけだ。

それは創価の組織の崩壊を意味する。

どんどん、そうした幹部・活動家には活躍してもらい

どんどん、退転者を増やしてもらいたい。

創価の組織から退転者を出す。

それが彼らの使命であり、

彼らにできる広宣流布である。

つまり、退転者を出すことによってしか

そのような幹部・活動家には福運を積むことができないのだ。

俺のような者が「創価の活動をやめとほうがいい」というよりも

傲慢な幹部が組織の中で跋扈する方が

より効率的に創価の活動をやめる会員が増える。

戸田先生は御本尊を「幸福製造機」といったが

いまの創価の幹部・活動家は、さしずめ「退転者製造機」といったところか。

さすが、仏法には無駄がない。

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