「月月・日日に」
強き祈りで前進だ。
満々たる生命力を!
冴えわたる智慧を!
ここに勝利のリズムが。
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池田センセ及び学会幹部って
この「勝利」って言葉好きだよねぇ~
何かと言えば、【勝利】
明らかに負けちゃっても(公明候補者の落選など)
それでも【勝利】
宗門との裁判も、ほとんど負けていても
やっぱり【勝利】
一体、何が【勝利】の基準なのかと
冷静に考えると
【学会活動をしている】=【勝利】
と、こうなる。
でも、学会活動している人。
つまり活動家は、前回のブログでも書いたが
実社会で勝利している人はほとんどいない。
たまに、実社会で成功している会員がいると
幹部は「世間での成功など偉くない。偉いのは仏法を広めるている人だ」
なんて言いだして
多くの実社会で勝利してない会員も
「そうだ。そうだ。」とこうなる。
つまり、オマエより真剣に学会活動をしている俺の方が偉いんだ。
とまぁこう言いたいわけなんだろうが
敗北者の強がりにしか聞こえない。
ではそんなバリ活が学会の中で結果を出しているか?
と言えばそうでもない。
聖教啓蒙にしても、折伏・本流にしても、教学にしても
【デキル活動家】なんてほんの一握りだ。
幹部になればなるほど、【デキナイ】傾向だ。
そして【デキル活動家】はそれなりに世間でも結果をだしている。
そんな、なにもできない活動家達は
学会の勝利=自分の勝利
という摩訶不思議な方程式を自分のなかで作り上げる。
どっちにしても、学会で言う所の勝利は
学会活動をする事自体で
学会活動得をしていれば勝利。という事だ。
祈りなんて全然関係ない。
関係ないのに、【祈り】というキーワードを使う。
それが学会指導のカラクリ。
まぁ、御書利用・大聖人利用。
分かってしまえばなんて事は無いんだけど
分からない会員さんが多いよね。