創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

勇気の対話って・・(笑)

3月になりいよいよ学会活動も

目前に迫りくる統一地方選挙の戦いがアツくなってきますな。

昨日会った壮年活動家の友人の話では

2月までは県会で、今日からは市議会の戦いとの事。

「今は選挙戦というとどんな戦いをしてるの?」と訊くと

「交流と内部固め」だって。

相変わらずと進歩もなければ発展もない。

毎回毎回選挙に繰り返される「交流」と「内部固め」

このどちらも、広宣流布のための化他行なのだか

このどちらも【選挙の時にしかやらない】から

無限ループのように繰り返されるのだ。

もっとも、彼等活動家の言う所の

【交流】ってのは公明党への投票依頼をすることだし

【内部固め】ってのは内部の公明党への票を固めることだかから

選挙の時しかやらないというよりも

選挙のためにやっているだけ。

で、それを広宣流布などと言ってします厚かましさ。

人と人とが交流するのは当たり前の事で

それをわざわざ【勇気の対話】とかいう所が笑える。

学会の活動家とは、他人と交流するのに【勇気】か必要なのか?

普通の人間が誰かと付き合うような普通の付き合いができないのか?

それって、精神的に病んでいるか、社会不適合者か

どちらにしてもちょっと変な人。

世間様はそんな変な人とはあまり関わり合いたくない。って思うのが普通じゃないかな。

知人に会いに行って公明党の支援をするために

【勇気】を出さなきゃなんないってのは

実は、本人が一番「公明との事などいいたくないなぁ」って思っているからだね。

そりゃわかるな。

普段は友人や知人となどと会って遊ぶ事もしないクセに

選挙だの新聞だのそんな時だけ会いに行ってお願いする。

相手のお願いなど聞いた事もないだろうし

相手はそんなヤツに何の期待もしていないもんな。

通常の神経の持ち主なら、

そんな自分の都合のいいようにしか利用しない相手に

自分が好かれているとは思えんわな。

むしろ「俺って嫌われているよなぁ・・・」って思う方が普通。

当然それを承知の上で交流するんだから

そりゃ【勇気】か必要だよね。

でもさ、そこまでしてやっていることは

信心とは無関係な【選挙】の話なんだよ。

空しくないかい?って聞きたいね。

モチロン、周りの幹部はそんな会員さんを見て

激励?するんだろうけど

その幹部たちは【勇気の対話】なんてしてないんだよ。

それは知人に投票依頼をしていない。ってことじゃなく

彼等はもはや

「相手に対して申しわけないなぁ」とか

「相手に嫌われんじゃないかなぁ」など

そんな感情など毛筋の先程も持ち合わせていないんだよ。

ようするに、相手の気持ちなど眼中なし。

自分の事だけ押し付けて平気でいられるのが

バリ活がバリ活と呼ばれる所以なのだよ。

でも、彼等は全然寂しくない

なぜなら、彼らには学会村があるからね。

いつでもそこに逃げ込めばいい。

彼等は村の外に友人など要らないのある。

村の外でしか広宣流布はできないのに

村の外には友人がいないのである。

新入会の人や活動し始めの人が

学会村で一生過ごして行きたいと思っているなら

ガツンガツン勇気の対話でも何でもしてください。

でも、いま学会村の外に大切な友人がいる人は

病んでる幹部の言う事は聞き流して上手い事やってください。

そして、間違っても大切な友人を折伏などしない事。

今の学会はただの宗教サークルですから。

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