創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

誰のお陰だって??

創価学会のお陰で・・・・・」

活動家が良く口にする言葉だ。

病気・経済苦・就職や結婚などなど

色々なパターンがあるが結論は

創価学会のお陰で幸せになれた」である。

さらに上級の活動家になると

創価学会」のお陰ではなく

「池田先生のお陰で幸せになれた」とこうノタマウ。

まっ、確かに、学会からお給料をもらっている

宗教を職業にしている創価学会関連の企業の社員や

学会に支援されなきゃ議員になどなれない

政治家センスの欠片もない公明党議員の学会員は

創価学会」のお陰であり

「池田先生」のお陰であるというの間違ないだろう。

彼等は創価学会に食わせてもらっているだから

大いに創価や名誉会長に感謝するのは人として当然だ。

もっとも、そのような人を指して

仏法では【食法餓鬼】というのだが。

そういう会員はさておき

一般の会員さんがこの信心をして幸せになれたのは

創価学会のお陰じゃないし、

ましてや池田名会長のお陰ではない。

全ては日蓮大聖人のお陰である。

日蓮大聖人とは言うまでまなく

【弘安2年御建立の本門大御本尊】のおかげなのである。

信心をして幸せになるかどうかは

信力や行力は重要だが

それ以上に重要な要素は仏力・法力である。

いくら信力・行力が強くても

仏力・法力が弱ければ意味がない。

戒壇大御本尊の仏力・法力のお陰で幸せになる。のだ。

創価学会だたの在家の集まりだ。

池田センセもただの凡夫である。

だから、創価学会と言う組織にも

池田センセという個人にも

「仏力」も「法力」の存在しない。

つまり、信心をして功徳を得た。と思うのなら

それは、創価学会のお陰でも池田センセのお陰でもなく

戒壇大御本尊(大聖人)の仏力・法力のお陰なのだ。

また、良く創価学会のお陰で広宣流布できた。だの

創価学会が無ければ広宣流布できなかった。だの言う幹部・活動家がいるが

これまた、全く同じで学会員の信・行力が有ったのも事実だが

それ以上に大きいのは、大御本尊に仏力・法力が有ったからこそ

創価学会は会員を増やす事が出来たのである。

もし、学会が正宗にある大御本尊以外の本尊を流布していたら

こんなに大きくなったと思うか?

それは他の教団を見れば明らかであろう。

そうした根本を忘れ、「創価学会のお陰で云々」などというのは

御本仏への感謝を忘れた不知恩な発言であり

信力・行力という自力で幸せになられたと言ってるに等しい傲慢な言葉だ。

もし創価学会のお陰があるならば

それは、創価学会のお陰でこの大御本尊(日蓮大聖人)に

出会い、信じる事ができた。事だけだ。

「つまり学会のお陰で大御本尊を知り、大御本尊のお陰で幸せになれた」

これが正しい。

が、今となってはソレも無くなった。

俺も学会のお陰でこの信心に巡り合えた事は感謝している。

でもご本仏を捨てる。となると話は別だ。

感謝はしてるが、御本仏を捨てろ。というのは承服できない。

そして、感謝をしてるからこそ学会で御本仏に出会えた会員さんに

折角出会った御本仏を捨てるような真似をさせたくない。

食法餓鬼の職業宗教家幹部や

それに惑わせれているバリ活の会員はどうでもいい。

(というかどうしようもない)

せめて純真に大聖人を求めている会員さんや

本当に悩みを抱えている会員さんは

創価学会にお陰」で功徳が出る事はない。

「学会活動」で功徳がでる道理もない。

「功徳が出るのは大御本尊の仏力・法力のお陰」である

ということを思い出してほしい。

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