創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

どこかで見たような構図だな。

日大アメフト部の問題で昨日当該日大選手の謝罪会見があった。

二十歳そこそこの若者が精いっぱい謝罪している姿は痛々しい。

監督・コーチの指示があったとはいえ実行しなければ良かったのだ。という意見もあるだろうが

果たしてそんなことは可能だったのか?

もしも自分が彼の立場だったら監督の意向を無視することができるのか?

多分、彼の立場だった誰もが彼と同じような行動をしていたと思う。

精一杯の謝罪をし、青春を賭けていたアメフトも辞めるという彼を誰がここまで追い込んだのか?

いうまでもなく、監督・コーチである。

そしてこの期に及んでもなお、「齟齬である」という言い逃れをしている大学。

日大側の言い分では、当該選手に責任を押し付けているようにしか聞こえない。

「全て私の責任です」という内田元監督のセリフも白々しく聞こえる。

ああ、そういえば似たような事が何度もあったなぁ~ってふと思う。

この構図。そう創価の活動にソックリだ。

広宣流布だとか師匠に応えるだとか言われて

半強制的に学会活動を「させられて」いた学会さんが大勢いた。

幹部の側(やらせる側)の理論から言えば、「強制」なんてしていない。ということなんだろう。

でもさ、相手が「強制」だと感じたら「強制」なんだよなぁ。

もちろん、創価幹部にいわれても「やらない」選択肢もあるし

「やってしまった」のは自己責任なんだろうけど

創価という閉鎖的な世界で生きていくためには

「イヤイヤ」でも幹部に言われたことを実行しなければいけないわけで

件のアメフト部の当該選手と同じ構図なんだな。

また督は彼にそのようなことをさせたのは成長させるため。

といった趣旨の事を言っようだがこれまた創価幹部と同じ。

「君の成長ために。君の事を思って。」

何も広宣流布にならない学会活動をやらせるようとする。

学会活動で嫌な思いして友人に嫌な思いさせて一体何が成長するのだろう?

俺にはサッパリ分からないな。

「嫌な思いをしたりさせたり」することで人が成長するとは思えない。

「苦手なことに挑戦」するということは大切だとおもうけど

学会活動に無理に挑戦して一体何になるのか?

聖教新聞の拡販や公明党への投票依頼を「イヤイヤ」やって

自分の人生が豊かになるのだろうか?

「苦労は勝ってでもしろ」というが、買わなくていい苦労は買う必要はない。

ましてや、今の学会活動なんていうのは「大聖人仏法」とは何の関係もない。

こんなことをしてもチリほども福運などつめないし、露ほども功徳なんて出ないのは

文理に照らして明白だ。

しかも、会員さんに指導をしている幹部は

誰一人会員さんの責任なんて持たないし持てない。

だって、会員さんを救う力は一凡夫の創価幹部にはないんだから。

それは、会長だろうとセンセだろうと同じ。

そのくせ全部自分が責任を持てるような口っぷりで指導するわけだ。

これまた件の監督よろしく白々しいたらありゃしない。

所詮、創価幹部・活動家が守ろうとしているのは

創価や大聖人仏法や会員さんではなく

せっまい創価という世界の中の、自分自身の立場とか見栄なんだよね。

日蓮大聖人曰く

◆わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なりと(種種御振舞御書)

創価幹部が何をどいってみても大御本尊を捨てた今の創価は謗法である。

そんな創価幹部のいう事に何もおじることなどない。

学会活動なんてしなくても何の罪にもならない。

謗法団体の創価をやめたって何のことはない。

大御本尊を信じる心があれば信心なんて一人でもできる。

ましてや大御本尊を受持すれば

◆只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし(聖愚問答抄)

とあるように、創価の謗法は全て滅するわけです。

心ある学会員の皆さんは一日も早く創価をやめて正法・正義に戻るべきでしょう。

いつまでも、創価幹部に騙されて「仏法の反則行為」(謗法)を続けていれば後悔をするのは貴方だけです。

もう気づいてるでしょ?そんなことには。学生ならともかく立派な大人なら。


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