創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

今週の言葉(8月24日)

 「仏になる みちは

 善知識には すぎず」

 座談会で励まし合い

 幸福へ拡大へ 勝利へ

 大歓喜のスタートを!

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学会の座談会ってのは何やってんだろう?

って思っている方いると思う。

座談会の式次第はだいたい次のとおり

勤行(しない時もあり)・学会の歌を皆で歌う

で、本来は信仰の体験談を発表といきたとこだが

これがない。どこの組織でもこの体験談というのがほとんどない。

(要するに功徳が出てないってこと)

なので、体験談の代わりに、学会活動の報告だったり

青年部のコーナーとかやってみたりする。

そのあとは、一応御書講義をするが

これまた、大白蓮華(学会の月刊誌)に書いてあることを

まんま読んで終わり。っていうヤツが多くて

【講義】と呼べる代物じゃない。

どちらかというと【抗議】したくなるような内容。

最後に、担当幹部の指導(挨拶?)

これまた、大聖人の話よりも、センセと学会の話中心。

まぁ、こんな感じで約1時間半。

これが月に1度行われる学会の座談会の一般的な内容だ。

読んでもらってわかるように

内輪による内輪だけの内輪のための会合が座談会だ。

もっとも、学会の会合のほとんどは内輪だけの会合だが。

外部の人や未活動家にとっては退屈を通り越して気持ち悪い。集まりである。

俺も、活動家時代に3人ほど座談会に連れ出したが

だれも歓喜するはずもなく、3人とも2度目のお誘いをやんわり断ってきた。

退屈極まりないのは外部の人だけじゃなく

内部の学会員の中にも、このマンネリの座談会を退屈(苦痛)に感じてる会員も多い。

まぁ、どっちにしても、いっつも参加者は一緒

やってることも目新しさもなく感動や勉強になることもない。

こんな集まりに友人を連れいっても、

広宣流布どこらか逆に学会のショボさを広めることにしかならない。

そんな座談会で大歓喜など沸き起こるはずもない。

話はわかるが、冒頭に引用されている善知識についても少し触れおく。

善知識とは、仏道に正しく導いてくれる人の事をいう。

学会は善知識の団体。というのが学会の主張だ。

さて、では善知識の人はどんな人なのか?

善知識とはどういう関係をいうのか?

御書には

◆善知識と申すは一向師にもあらず一向弟子にもあらずある事なり

とある。

つまり善知識とは、師匠でもなく弟子でもない。

師弟ではない。ということだ。

学会は善知識の集まりならば、池田センセとはいっても

師匠でも弟子でもないのである。

信者(在家)達の間に師弟など持ち込まないのが

大聖人の教えである。

そこにわけの分からない師弟不二などという持ち込む

センセの指導は明らかに間違っているし

そんなモノ(師弟)を持ち込んだからこそ学会はオカシクなったのである。

日蓮大聖人が師匠である。主師親三徳であると教えていたならば

学会も謗法団体にならずに済んだのだ。

最後に善知識の反対の悪知識について御書には数多書いてあるが

◆悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さん

少し仏法を知ったかぶって信心のあるようなフリをして法華経(大御本尊)は我々には必要ないということを言う人。

このような人間を悪知識と呼ぶ。

このような人間を大聖人は

◆我が弟子に非ず是れ魔の眷属なり

と言われいる。

さて、御書に照らして、創価学会

善知識?悪知識?

どっちだ?

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