創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

ちゃんと仏法対話していますかぁ?

宗門と別れてこの方

学会の折伏は、いつの間にか

仏法対話なるものに代わった。

折伏というと腰が引けて皆尻込みするので

言い方を、折伏から仏法対話と変えることにより

やる気を出させる。という思惑らしい。

まぁ、言い方を変えてもやることは同じなら

それはそれでいいかもしれないが、

残念ながらやはりそうはいかなかった。

折伏」というと、やはり本尊流布してこそ「折伏」だと感じるが

「仏法対話」というと対話した時点で完結してしまって

本尊流布までいかないのだ。

要するに折伏までいかにうちに終了ってことだ。

まぁ、実際に信心をさせる「発心下種」と

法を聞かせる「聞法下種」と功徳は変わらないと

大聖人も言っているから

仏法対話だけで、満足する気持ちもわからなくはない。

でもそれはホントに「仏法対話」をした場合に限る。

現場では、実際に仏法対話などしていなことが多い。

男子部時代にあるメンバーが友人を幹部に会わせた。

そのメンバーはまだ教学も浅いので

幹部に仏法対話をしてもらおうと友人を連れて行ったのだが

その幹部が友人にした話は

創価学会や池田センセがどんなに偉大か。という話ばかりで

結局、仏法の話ほとんどなく

当然、その友人が入会することはなかった。

このパターンが、今の学会のなかで

最も多いパターンである。

これじゃ、入会などする人はいないだろう。

まづ、大多数の一般の人々は

創価学会や池田センセなどに何の興味がない。

何の興味ない人に、興味のない話をしたところで

何一つコンセンサスなど得られないのは当たり前の話だ。

例え、相手が何かの悩みを抱えてたとしても

それでも、創価学会や池田センセなどに興味はない。

悩みの抱えてる人が興味を持つのは

どうすればソレが解決するか。ということだけだ。

そのような人に、学会やセンセの話など全く心に刺さらない。

そんなことも分からずに話をしているわけだ。

そもそも、学会やセンセの話をすることは

仏法対話とは言わない。

仏法の話をするのが仏法対話であって

学会の話をするのは全く仏法対話のテイをなしていない。

こんなことを、仏法対話だの聞法下種だと思っているなら

相当オメデタイ人間である。

学会やセンセの話は下種にならないのだから

聞く方も聞かせる方も、何一つ功徳はない。

下ネタを話しているのと同じである。

昨日も書いたが、こんな事しているから

活動家はいつまでたっても大聖人の教えを学ばない。

話さないから学ばない。学ばないから話せない。

彼らが雄弁に語れることは学会の話だけ。

だか、悲しいかな学会の話など仏法でもなく

しかも世間の皆様には、な~んも興味がない話なのである。

活動家の言う仏法対話なんてこの程度だ。

まぁ、逆言えばこの程度あれば

たまぁ~には間違って入会しちゃう人もいるだろうが

これ以上学会員が増えることもないから

広宣流布になっていいのかもしれない。

信心は何のためにするのか?

自他共に幸福になるためである。

幸福になるためには大聖人の仏法を信じることである。

だったら、ちゃんとやろうよ。仏法対話を。

ちゃんと仏法対話ができるように学ぼうよ。

学べば分かるって

今の学会じゃ幸福に絶対なれなってことがさ。

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