今日は個人的な出来事を書くよ。
3月末に身の上に大変な出来事があり現在いまだ進行中。
今は詳しく書かないが、まぁ~よくない出来事だな。
地元の学会活動家に言わせれば
「学会や幹部批判をしてるから罰が出たのだ」
「学会組織を混乱させるようなヤツはこうなって当然」
そんな声が聞こえてきそうな今日この頃だ
(一部そんな声が聞えてくるが)
また、こうしたこのブログの読者の活動家の学会員さんも
「こんなブログ書いてるから罰がでるのだ」と言いそうな出来事だ。
まぁ~人の不幸を嘲笑う学会員を非難する気は毛頭ない。
学会活動家にとって人の不幸は蜜の味だからな。
未活動会員なら、その不幸な出来事を利用して活動家にするチャンスだし
学会批判者が不幸な目にあえば、
それはそれで学会に敵対する人間の成れの果てのように宣伝もできる。
確かに信仰者として人の不幸を喜ぶような態度は批判されがちだが
俺は、別にそうした学会員はむしろ当然だと思う。
誰しも自分と敵対する人間が不幸になればいいと多少は思うだろう。
それが人間として当たり前の感情だと思う。
もっとも、そうした学会員に腹が立たない理由は、
俺は罰だなんて全然思っていない。
からだ。
むしろ、学会批判をして身の上に不幸な事が起こると言うのは
自分の信心が正しい。という証明だと思っている。
今回の件は、大善が起こる前触れであり
罰ではなく功徳とさえ思える。
今、俺の身に何が起こっているのかは
全て終わったらブログに書こうと思っている。
しかし、仏法は不思議だ。
悪を攻めれば必ず何が起こり
後から振り返れば、それが全ていい方向になって境涯が開ける。
もし何かで悩んでいる学会員さんがいれば言ってあげたい。
新聞啓蒙や選挙などの信心と関係ない活動するよりも
学会組織の中の大聖人仏法を貶めている増上慢と戦う方を選んだほうがいい。と。
学会の味方でなく、御本仏の味方といういき方が絶対にイイ。
今の学会に味方するのは、ご本仏に敵対することになる。
だったらその逆をいかないと功徳などあるわけがない。
俺たちは、学会のために信心をしているのでない。
自分自身の幸福のため
またご本仏を助けるために信心をしているのだ。
◆凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり
◆大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる