創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

ダメ幹部ほど選挙好き

自称大聖人仏法を信望している学会は

とにかく選挙が多い。

一応広宣流布の戦いらしいが

この、選挙=広宣流布っていう構図は

ダメ幹部には非常にありがたいシステムだとつくづく思う。

その理由は、個人の結果が曖昧で誰もわからないから。

幹部がFをこれだけとった。といったところで

そんなの全部自己申告。

土日に朝の出発してF取りに行くことになっても

ダメ幹部は決しって部員さんと一緒に行かない。

部員さんの友人・知人のところに付いてくることがあっても

その幹部がFを取っている所を誰も見たことがない。

部員さんが拠点に集まって卒業アルバム片手に電話で投票依頼していても

やらせている幹部が自分の卒業アルバムを持ってきて

電話している姿を誰も目撃しない。

それでも、候補が当選すれば大勝利

落選しても一応大勝利で一応在家幹部は

責任も持たなきゃ総括もされない。

(因みに創価出家患部は選挙で負けると責任取らされるけどね)

これなら、いかに自分が無能な患部

(いや無能な人間か)

いかに自分が何もしていないのか

皆にバレることがないのである。

俺自身選挙活動が好きじゃなかったのは

こうした曖昧な部分であり

曖昧故に会員にはなんだかんだ色々やらせるくせに

自分では影でコソコソ何やってんだか分からない患部が

余りにも多いからだ。

そうした幹部は自分だって皆と同じに戦っている。というのだけど

選挙の戦いがないとそうしたウソ・メッキが剥がれる。

選挙のないときは大抵が新聞啓蒙か折伏だけど

選挙の時にFをたくさん頼んだ言ってたはずの患部が

新聞啓蒙のひとつもできないは

本流どころか座談会や弘教大会などの会合に

友人を連れてくることはまずほとんどないからな。

新聞啓蒙や折伏は結果が誰の目からも明らかになってまうので

どんな能書きたれた所で結果が全てなのである。

そういう戦いは結果が出せない幹部には辛いだろう。

そうした幹部は選挙が一番いい。

そうした幹部ほど「選挙は広宣流布だ」とことらさ主張する。

聞いてるだけでイタいのである。

俺が男子部で幹部と呼ばれた時は部員さんには

「選挙は広宣流布の一部だけど枝葉だ。

選挙の後が本当の戦いだ。

選挙が終わったら折伏で結果を出さなきゃ何の意味もない」

と言っていた。

だからみんな折伏が好きだったなぁ。

選挙のような曖昧なのは皆嫌いだった。

選挙好きはダメ幹部。ってよくみんなで話してたよ。

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