創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(4月度座談会御書・兄弟抄)

◆此の法門を申すには必ず魔出来す べし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随 う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の

釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。

(4月度座談会御書・兄弟抄)

今月の座談会御書は兄弟抄。

この御書は佐渡御書と並んで初信の頃によ~く学んだ。

比較的読みやすい割には基本的な法門が書いてあって

信心を始めた頃には研鑽しやすい読みやすい御書だね。

だからこそ、最初に間違って覚えないように注意が必要なんだけどね。

で、今回の拝読箇所は三障四魔の原理の部分。

三障四魔については大聖人はいたるところで言っているのだけど

一人たりとも退転させない。というご本仏の思いが伝わってくるでしょ?

さて、三障四魔。一言で言うと「魔の働き」が起こるのは何故か?

ここが今回のポイントで、御文に即して言うと

【此の法門を】【申す】と三障四魔は現れる。といこと。

【この法門】とは、この前文に、

◆摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし

ここでは、天台の摩訶止観に名を借りているけど、

ここは、【摩訶止観の理の一念三千】よりも【今一重立ち入った大聖人の事の一念三千】と読んでね。

で、この【今一重立ち入った事の一念三千の法門】とは

さらに、この少し前の御文に書いてある

妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、

妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠】これのことです。

で、これは何を言っているのかといえば、

当然、本門戒壇大御本尊のことです。

そこで今回の拝読箇所を、通解・解説すると

☆大御本尊の法門を語る(折伏する)と必ず魔が現れる。

☆大御本尊に対する、行(勤行・唱題)と教学が進んで、

つまりは大御本尊に対する信が強くなる(勤めぬれば)と三障四魔が競い起こるが

これを恐れこれに従ってはいけない。ということです。

なぜならば、三障四魔が競い起こるのは正しい信心をしているということであり

成仏するのは間違いないからです。

◆凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(兵衛志殿御返事)

と大聖人が言われている通りです。

この「三障四魔」の言葉を創価活動家はよく口にしますが

創価活動家の言っているのは「三障四魔」ではありません。

なぜなら、創価活動家は「この法門」を「申していない」からです。

公明党の選挙依頼・・・「この法門」ではありません。

聖教新聞の購読依頼・・・「この法門」ではありません。

池田センセの自慢話・・・「この法門」ではありません。

創価活動家が、奥さんやご主人に信心を反対されるのは家庭を顧みないからです。

創価活動家が、両親に信心を反対されるのは親孝行しないからです。

創価活動家が、職場の社長や上司に創価をけなされるのは信心以上に仕事を熱心にしないからです。

創価活動家が、友人に池田センセをけなされるのは友達付き合いができないからです。

要するに、創価活動家がその活動の過程において我が身にかかる火の粉は

正法故に降りかかってくる三障四魔とは全く別物です。

家族や友達を大切に思ったり

仕事を熱心にやったり

そうした人として単純に大切な何かが欠落しているからであり

大聖人仏法(正法)とは全く無関係な

個人的な問題なのです。

それをまるで自分たちが正しい信心をしているから悪く言われるんだ。

などど思うのは、お門違いも甚だしいと言っておきます。

こういう紛らわしいことを「紛然」といいます。

創価活動家の場合、罰も功徳も紛然なんですね。

もっとも功徳は出ないのですが、功徳が出たと勘違いしちゃいます。

まぁ~でも、創価活動家の皆さんはとりあえず喜んでください。

あなたたちに三障四魔が競うことはありませんよ。

なぜなら、大御本尊を捨てたあなたたち自身が「魔」ですから。(笑)

逆に、「創価」に疑問を持ち大御本尊のことを話したら創価活動家に嫌な思いをさせられた人や

組織中で、大御本尊を信じるべきだといって組織から嫌がらせをされたりした人など

そういう人こそが「正法の行解を既に勤め抜いた人」なのです。

だからこそ、そのような方々は創価活動家という「魔」に

恐ることなく従うことなく、大御本尊への信をますます確固たるものにしてくださいね。

成仏は間違いないのですから。

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