創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

非意味的切断さんのコメントへ(大御本尊の科学鑑定の件)

先日の非意味的切断さんのコメントへのリコメえお書きます。

コメントの内容は

★でしたら仮に、大御本尊を科学鑑定した結果、日蓮の書いたものではないと明らかになった場合も、

「別に日蓮は関係ない!誰が書いたかわからないけど三大秘法が含まれてるからいいんだ!」ということになるのでしょうか?★

とのことで、少し前あたりからよく言われている

戒壇大御本尊を科学鑑定して真偽を明らかにせよ」という件に関連したことですね。

最近では、学会のカツドウカまでもコレを言い出す人も現れて

以前、このブログにも「大御本尊を科学鑑定しろ」と

息巻いてコメントしてきた、「いかにも男子部」ぽい方がいたなぁって思い出した。

では俺の考えを言うと、

大前提として「大御本尊を科学鑑定しろ」という発想自体がまづ理解できない。

もちろんその根底はご本仏の当体である大御本尊を科学判定する。

という発想・発言自体が謗法者の発想だという気持ちもあるが、

むしろ「そんなことをして何の意味が在るのか?」と逆に問いたい。

その理由は、ひとつは

「大御本尊を科学判定せよ」という人達の目的が

あくまでも「大御本尊を否定すること」にあるから。

話は少し変わるが、このようなブログを書いていると

創価のナリスマシ」などと創価活動家に言われる。

まぁ、いまは「創価でなくなった」と言ってるのでナリスマシでもなんでもないが、

今年になって俺は、自分の御書と先日お巻した御本尊の画像をUPした。

普通に活動歴があって自宅に創価の御本尊があるのならば

「ああこの人は学会員でナリスマシじゃなかったんだ」と気づくはず。

ところが俺を「ナリスマシ」と言ってきた創価カツドウカは

「ごめんね。ナリスマシなんて言っちゃって。本当に学会んでしたね」

の一言も言ってこないでしょ?

どころか、「あの画像は本人のモノとは限らない」とかいうわけでしょ。

(俺をナリスマシって発言したカツドウカさん、いつでも謝罪受け付けてますよ)

つまり何が言いたいのかといえば、

科学鑑定せよ。なんて言っている連中は、

科学鑑定の結果がどうであれ「大御本尊はニセモノ」という主張は変えないってこと。

もし科学鑑定の結果大御本尊が大聖人在世のときのものだったら、

身延の各宗派は、日蓮正宗に帰伏するのか?

学会カツドウカは創価を退会して正宗に入信するのか?

しね~よ。絶対に(笑)

大聖人ご在世のものだと確定したら

今度は大聖人が建立したいう証拠はない。

とか言い出すに決まっている。

つまり「あいつはナリスマシだ。」と言い続けるカツドウカと同じ。

だから全く科学鑑定なんてしても意味がない。

そしてもうひとつの理由は、

大御本尊が一大秘法の法体であるかどうか?

は科学鑑定じゃわからない。ってことだ。

なぜか?

それは大御本尊を一大秘法たらしめているのは

大御本尊が大聖人の色心の二法であるからだから。

つまりは大御本尊には大聖人の心法が久住しているわけだ。

それをもって一大秘法とも法体とも呼んでいるのだ。

さて、大御本尊ニセモノ論者の人たちは

現代科学をもって「大御本尊には大聖人の心法が存在しない」と証明できるのか?

「いやいや心法が有るってことを証明しろよ」なんていう

子供だましの質問返しは止めてほしい。

「科学鑑定」を持ち出してきた方が証明するのがスジだ。

日興門流は何百年も、科学など使わず「三証」で

大御本尊が紛れもなく「法体」であることを証明してきた。

創価があれだけ大きくなったのも

大御本尊に仏力・法力があったからこそ。でしょ。

それが証拠に破門後は、

公称800万世帯?から全然増えてないじゃん。

どころか実際には減っている。

公明の比例得票だって、ただの一度も大作センセに言った

1000万票に届いたことすらない。

おっと話が少しそれてしまったが、

「心があるか?ないか?」なんてことは

現代科学において判定できないのが常識だ。

だから「意味がない」というのである。

以上のことを踏まえたうえで、ここからが非意味的切断さんへのリコメになります。

リコメといっても、ほぼ非意味的切断さんが書かれたとおりです。

「ニセモノ」とは何をもってニセモノなのか?

仮に大御本尊が大聖人滅後に誰かによってご建立さてたと

科学鑑定でわかったとします。

これも「偽書論」同様に、そうだったとしても何の問題もありません。

何故なら、正宗の歴代法主が、そして僧俗(退転者は除きますが)が

みな「大御本尊は大聖人の色心二法である」と認めているからです。

それは先ほど書いたように多くの僧俗が

大聖人の仰せのとおりに「三証」で証明してきたのです。

これを否定するのは、無知か邪智のどちらかです。

「そんな正宗の法主のいうことに盲信するなんて」とい反論もあるでしょうが

再三書いていますが、仏法の付属・相伝・相承と言われている内容は

あくまでも「法体」の付属・相伝・相承であり

大聖人が言われている三国三師(大聖人を除く)の相承も全て

唯授一人・面授口決です。

◆此の経は相伝に有らざれば知り難し(一代聖教大意)

◆此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり(御義口伝巻下)

さて、「大御本尊」のことを正宗のご歴代以上に知っている方はいるでしょうか?

大御本尊を否定してる人達は、一体誰から面授口決を受けて否定するのでしょうか?

まさに、不相伝家門流の姿であり発想としか思えません。

おっとまた話が逸れちゃいましたね。

仮に大御本尊が大聖人滅後の後世に建立されたとしても

それにはちゃんとした理由があり

ちゃんと大聖人の心法を移された

もちろんその内容は我々凡夫は知ることもできませんが

そうだったからこそ、一大秘法の法体として今に至るまで厳護され信仰されていたのです。

もしも誰かが勝手に作ったものならば

とっくの昔に他宗に言われる前に法主が否定したはずです。

もちろん「別に日蓮に関係ない」といは言いませんよ。

大聖人の色心二法ですから。

そもそも大聖人に関係ない。ものには三大秘法は含まれていませんしね。

ですから創価には何処にも三大秘法はない。というわけです。

最後に、もしも科学が進み「大御本尊に大聖人の心法が存在しない」と

誰もが納得する結果が出た時には

私は潔く大御本尊信仰を改めます。

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