創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

欺瞞に満ちた創価活動家の主張

創価活動家・おっさんさんのコメント。

今回のコメントは欺瞞に満ち満ちている。

今回は特に本尊着に関することなので看過できないので

キッチリ記事にして置くことにする。

まず彼のコメントの引用

★大御本尊を創価学会が捨てた、或いは、信じない等、まったくデタラメです。

そんなことを言ってる人を信じるほうがどうかしてます。 ①

創価学会の御本尊に関する権限は全て会長職にありますが、歴代会長で大御本尊を捨てますと発言された方も、信じなくてよいと発言をされた方もいません。②

悪いに満ちたデマで貴方を惑わし、大聖人直結である創価学会から離すのが魔の働きです。 ③

(引用はここまで)

では、行ってみよう。

まず①に関しては、今更何をいわんやで呆れるばかりだ。

平成26年11月8日の聖教新聞に、

「会則の教義条項にいう 「御本尊」 とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と発表したのは他でもない創価である。

ここで、ハッキリと弘安2年の御本尊。つまり【大御本尊を受持の対象にしない】と言っている。

その後の解説では、

「「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが」といい

大御本尊が「本門の本尊」と知っていながら受持しない。と説明している。

創価活動家は「受持しない」だけで「捨てたのでない」と言いたいのだろうが

そんな欺瞞をどこの誰が信じるというのか?

まさに、「そんなことを言ってる人を信じるほうがどうかしてる」のである。

大聖人仏法とは受持即観心が基本である。

受持とは即信受・信心を意味する。

◆信受とは受持なり(御義口伝巻上)

◆此の本法を受持するは信の一字なり(御義口伝巻上)

◆「信力の故に受け念力の故に持つ」(四条金吾殿御返事)

しかも大御本尊を本門本尊と認めながら受持しない。のである。

これは大聖人仏法の否定であり不信謗法である。

■「末法の我等衆生の観心は、通途の観心の行相に同じからず。謂いわく、但本門の本尊を受持し、

信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉たてまつる、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」(日寛上人文段)

これのどこが「捨てた、或いは、信じない等、まったくデタラメです」なのだ。

完全に信じない。と言ってるではないか。

また、捨ててないのなら、大御本尊への「供養」を当然しているだろう。

まさか、毎年財務を受け取っておいて

「信じている」「捨てていない」大御本尊に

1円もご供養しないというわけじゃあるまいな?

学会は、いつ・どこで・どうやって、「大御本尊にご供養」してるのだね?

ぜひ、皆にわかるように、どのように「ご供養」しているのか教えて欲しいものだ。

供養もせず、信受もしない。のならば

それを「捨てた」と言わずに、なんと表現するのかね?

まさか、それでも「信じている」と言い張るのか?

そんな理屈は一般常識で考えても通用しない。

それとも一般常識で通用しないことをいうのが創価活動家なのか?

それでもいいが、だったら一般世間に口出さないことだ。

②について

創価学会の御本尊に関する権限は全て会長職にありますが

これは、「創価学会の御本尊」に関することだろう。

大御本尊は「創価学会御本尊」なのか?

違うだろう。

大御本尊は日蓮大聖人のご本尊である。

日蓮大聖人の御本尊に関する権限は創価の会長などにはない。

会長に権限があるのは、あくまでも「創価学会の本尊」だけである。

御書には「凡夫が御本尊を決める権限がある」と書いていないのは明白だ。

つまり、創価学会の会長に

【大聖人の御本尊に関する権限】など【微塵もない】である。

学会の権限で決めた本尊は、

【学会の本尊であって大聖人のご本尊ではない】ということである。

しかしながら、学会の使っている本尊は総て

大御本尊の写しである。

それを【学会の本尊】などと、さも自分達の本尊のように言うのはさながら本尊泥棒だ。

「盗人猛々しい」とは、そういうことを言う。

いつまでも盗んだ本尊を使ってないで

池田センセにでも本尊を書いてもらい給え。

それなら、創価の会長が勝手になんでも決めていい。

しかし、大御本尊を書写している以上それは

【大聖人の御本尊】であり【学会の本尊】ではない。

つまり、創価の会長に本尊を認定する権限などないのである。

故に、大御本尊を受持の対象にしない。

などという教義を決める資格など創価の会長にはないのである。

自分ひとりが勝手に受持しなければいいことで

それを、会員に強制するのは言語道断である。

>歴代会長で大御本尊を捨てますと発言された方も、信じなくてよいと発言をされた方もいません。

などと言っているが、上記の「受持の対象としない」といったのは

ほかでもない原田会長である。

そしてそれを池田センセも認めている。と。

つまり池田・秋谷・原田の歴代会長が、「大御本尊を信じなくて良い」と言っているのである。

誰も言ってない?バカも休み休み言いなさいな。

③>悪いに満ちたデマで貴方を惑わし、大聖人直結である創価学会から離すのが魔の働きです。

ここまで書けばわかるだろうが、悪意に満ちたデマを流しているのは君の方だ。

大聖人直結?

「大聖人直結」と書いてある文証を出してみなさい。

大聖人が直結信心を勸めるならば

日興上人に付属する必要はないではないか。

また、直結信心でいいならば、御本尊も必要ない。

そして、なにより「池田センセ」が一番いらない。

永遠の指導者がいる創価が大聖人と直結できる道理がない。

直結信心を言うならば、まず会則から

三代会長を永遠の指導者にすると言う文言を削除したらどうだね。

そうやって、創価の造語で他人を誑かすのが創価活動家の広宣流布なのか?

創価から離すのが魔?

笑わせないでもらいたい。

創価に、三宝は在るのか?

あるなら、三宝を言ってみたまえ。

そしてその三宝が正しい三宝であることを

文証をあげて論証してみなさいよ。

魔の働きとは、大聖人の色心二法の当体である

大御本尊を受持の対象にしない。といって

会員を大御本尊から引き離す

創価幹部そしてキミのような活動家をいうのである。

そもそもキミは一昨年の教義変更を知らないのか?

聖教新聞読んでいないのか?

知らないなら、キミのコメントも理解できる。

が、もし知っててこのようなコメントを書いているのなら

キミこそ、創価のデマを垂れ流す大嘘つきである。

違うと言うなら、キミのいう【創価の正義】とやら論証してみせたらどうだ?

「文証なんてあげなくても云々」などという

「逃げ」のコメントは一切不要だ。

「戦ってます」風の見栄を張るコメントも結構。

創価の悪口をいってるだけ」みたいな印象付け発言も無駄。

堂々と、文証・理証をもって

創価は大御本尊を捨ててない。信じている」との論証をしてみせたらどうだ?

いつまで、欺瞞に満ちたコメントを繰り返す気か?

そんなに自分を大きく見せたいのか(笑)

残念ながら今のところキミはただの驕れる修羅にしか見えんよ。

◆おごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し(佐渡御書)

まぁ、キミが他の創価活動家のような

口だけ番長でないことを期待するよ

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