今日11月7日は、創価が大ご本尊を捨てて丁度1年の記念日ですね。
俺の知らない創価学会。
折角の記念日なので、
え~っと・・なんて言ってたかな?
「三大秘法」については、
「弘安二年の大御本尊も本門の本尊に含まれる」って言ってたな。
で?その本門の本尊に含まれる筈の
大御本尊を信受しないし、大御本尊には功徳がない。って話だよね。
本門の本尊なのに信受しないとか
本門の本尊なのに功徳がないとか
それって、「本門の本尊じゃない」って事だよ。
いくら教学に疎い会員さんでもこんな理屈はさすがにおかしいと思うはず。
要するに、古くからの会員さんの手前
大御本尊も「本門の本尊」ということにしてはいるが
ホントは「本門の本尊じゃない」って思ってる事でしょ?
会員の皆さん!「本門の本尊」の定義はなんですか?
何を持って「本門の本尊」というのですか?
今一度、思索・研鑽をしてみてくださいね。
で、「出世の本懐」は、三大秘法の確立と民衆仏法の確立だっけ?
まぁ、「出世の本懐」ってのはこんな事じゃなく
◆円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す(御義口伝巻上)
◆あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり(阿仏房御書)
とあるように、弘安二年の大御本尊御建立なんだよね。
だって、そうでしょう?
三大秘法の確立。民衆仏法の確立。って言った所で
それは「理」でしかない。
事実の上でどう【確立した】のかと言えば
弘安二年に大御本尊を建立した事によって【確立】したのだから
「出世の本懐」とは大御本尊建立以外にないじゃん。
日寛上人の「一大秘法」の義は御書にないから用いない。だっけ?
曾谷入道殿許御書にある「妙法蓮華経の五字」を一大秘法と明かしているとか言ってたっけ。
じゃぁ、この妙法蓮華経の五字ってなに?
曾谷入道殿許御書で言われているのは、大聖人(四菩薩)が付属された法体の事。
で同御書には
◆妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり
と書いてある。(天台の五重玄でなく、妙法蓮華経(自受用身)五重玄)
その法体の妙法蓮華経の五字とは、大御本尊であることは他の御書から読み取れる。
「御書にない」などという詭弁を言って会員を騙すとは恐れ入ります。
あとは、「創価学会が御本尊認定する権能がある」だったなぁ。
それこそ、御書の【どこにも無い】
片や「御書に無いから用いない」といいつつ
一方では「御書に無い事を勝手に決める」という
この、ご都合主義。
時が経過すればするほど、邪教・創価学会のペテンが鮮明になるなぁ。
なんの論拠も無くホンキで言っている(思っている)
活動家の会員さんの心の中と言うか、頭の中が
申しわけないが俺には理解できない。
魔に食い破られたとか、怨嫉してるだとか言うのだろうが
あれから1年経ってもこのブログに
理路整然と文証を示しながら
「なるほど創価の言ってる事は正しい」とコメントくれた人は皆無だ。
しかし、創価の言ってる事は、こんなに分かりやす邪義・己義なんだけどなぁ。
詐欺は単純な方か騙しやすいのかな?
こんなペテンに純粋な会員さんが騙されてると思うと切ないよ。
創価上級幹部とそれに従順する活動家会員の責任は大きいね。
まっ、何はともあれ
創立1周年おめでとうございます。
創立1周年を祝して私の方がら御文をひとつ贈ります。(笑)
◆善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし(開目抄下)