創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価系ブログに見る創価脳(印象操作系)

創価系ブログの記事を二つほど書いたが

最も酷いと思う創価系ブログを書いておくことにする。

ひと月くらい前の記事だと思うが(記憶が曖昧だけど)

日蓮正宗の僧侶の起こした事件を題材にしたものだった。

日蓮正宗の現役の僧侶が、女性を暴行し下着を盗んだ事件らしい。

まぁ、どんでもない僧侶がいたもんだ。

大聖人仏法を下げる僧侶の風上にもおけない人間だと俺も思う。

とここまででやめておけば良かったのに

何を調子に乗ったのかこのブログ主は

この事件を引用して「印象操作」の記事を書いていく。

この僧侶は当然のことながら僧籍い

「今は正宗と関係ない」と自分でいいながら

この僧侶が起こした事件を正宗の実態だ思うなどと書く。

個人の事件と所属する組織を意図的に結びつけた印象操作もいいところだ。

反社会的勢力じゃあるまいし

個人の犯罪と所属する組織を結びつけるとはいかにも稚拙である。

もし、そのロジック通りならば

いままで創価の職員や公明党議員・創価学会員が

どれだけ多くの事件・事故を起こしたことか

それも「創価の実態」ということになろう。

自分達は違う。というならどう違うのか説明できるのか?

そしてこの僧侶の兄弟が無保険で交通事故を起こしたことも書き

一度僧籍を剥奪した後僧侶に戻したことを批判している。

無保険で交通事故を起こしている学会員を俺も実際何人か知っているが

創価の組織は除名にもしていないが

それは「理解」できるのか?

さらに記事では全く関係のない日顕法主を引き合いにだし

こともあろうか「シアトル事件」なる事件を「起こした」と断定し

この僧侶の事件があたかも日顕法主のせいであるかのように書いている。

「シアトル事件」に言及した件については次回書くが

事件と全く関係のない前法主を持ち出すのは

いかにも無理やりそこに持っていこうとする意図があからさまである。

また、日蓮正宗の僧侶が「異常な事件」を「頻繁」に起こしているなどと書き

それをもって「邪教」の証左である。などとほざいている。

「頻繁」とはどのくらいの頻度なのか?

創価の起こした事件と比べてどれくらい多いのか?

そもそも正宗僧侶よりも

創価の人間が起こした事件の方が多いのではないか?

また「異常な事件」ならば創価の方が多いのではないか?

不倫の果てに会館の中で刃傷沙汰を起こすのは

交通事故よりも異常ではないのか?

それ以外にも学会員が犯した「異常な事件」は山ほどある。

正宗僧侶の事件が「異常」で「頻繁」という論拠はどこにも書いていない。

で、このブログの記事の最低なところは

こうした僧侶が「大御本尊は偉大だ」といっても「説得力ない」などと書き

最終的には「大御本尊」否定の話に結論づけている。

一介の正宗僧侶が起こした事件を

「大御本尊否定」へと無理矢理こじつける。

この印象操作のロジックは創価の十八番であり

謗法者の専売特許といえる。

個人の信心や私生活の乱れは

決して大本尊のでいではないし

大御本尊のせいにする方が狂っている。

◆人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか(撰時抄)

この学会員は「ひらがな御書」を作っているそうだが

こんな印象操作のロジックを企て

大御本尊否定をするとは片腹痛い。

御書をただ「ひらがな」に変換しているだけで

まったく御書を読んでいない証拠である。

さらに、この学会員はこの記事を書く事により

自分自身がほとんど犯罪行為をしでかしている。

他人の犯罪をどうこう書く資格はない。

まぁ、その権については後日書く事にするが

創価本部や大作センセに印象操作された創価脳は

自らも印象操作をやるんだよな。

創価系ブログにはこのような「印象操作」記事が多い。

まともな対論ができない連中ばかりなのも納得だよ。

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