RAMBOさんより、「四条金吾殿御返事」の
一節についてのご質問をいただいたので書きます。
◆一生はゆめの上明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず(四条金吾殿御返事/不可惜所領事)
上記の御文ですが、これは「四条金吾殿御返事」の一節です。
「四条金吾殿御返事」という御書は全部で確か16篇あり
それぞれに副題がついていて、
この御文は「不可惜所領事」です。
四条金吾が主君の江間師に信心をやめる様に言われたが
金吾はその命令に逆らい逆に
「たとえ所領を没収されようとも、法華経の信心を捨てるような起請文は書きません」
と大聖人に決意を述べた件についてのお返事です。
この一節は、私の心に刻んだ御書の一節なんです。
以前、個人的な体験談を書かせてもらいましたが
私が、この信心をやろう。と決意した原因が経済苦でした。
信心を始め日々、勤行・唱題、御書を読み学会活動をやって
それでも一向に貧乏が改善されることがなくて
毎日苦しみもがいて
「本当にこの信心でこんな状態から抜け出せるのか?」
「俺の信心が間違っているから生活が良くならないのか?」
そんな思いになるんですよね。
そんな時出会ったのがこの一節です。
最初の方に
◆中中信ぜざらんはよかりなんすへとをらずしばしならば人にわらはれなんと不便にをもひ候いしに
とあります。
「(在家の凡夫は難があると)最初から信心なんてしないほうか良かった。最後まで信心と貫きとせず人に笑われるのを不憫と思う」
とあるように、私も何度も「もう信心なんてやめてやる」って思った。
その度に、この一節を噛み締めてお題目を上げましたね。
次下の
◆すこしもへつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならばあしかりなん。と
◆なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。(兄弟抄)
はセットでしたね。
たとえどんな状況でも、堂々と信心を貫こう。と思ったもんです。
「明日をごせず」と「一度の死は一定なり」は同じことです。
人は、いつか必ず今世で死を迎える。
その時は、貧乏人も金持ちも関係ない。
ただ信心だけが大切なんだな。と。
といっても、凡夫ですから「今すぐ何とかしてくれ」と思うわけです。
そんなときは
◆我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし(開目抄下)
とのご文を思い出して信心してきましたね。
さて、RAMBOさんのご質問の
>法華経(妙法)を受持していても、経済や生活が破たんすることもある、という前提なのか、受持し続けることの大事さを強調されている意味なのか
ですが、大事なのはこの「受持」ということにあると思います。
今回の御文で思うのは「法華経に傷をつける」とはどういうことなのか。なんですが
これが「受持」ということに関連していると思います。
ここでいう法華経とは大御本尊(仏身)のことです。
そしてこの大御本尊とは
◆仍つて上行所伝の南無妙法蓮華経は蔵なり、金剛不壊の袋なり此の袋をそのまま日本国の一切衆生には与え給えり(御講聞書)
◆此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり(太田左衛門尉御返事)
とあるように「金剛不壊」ですから、大御本尊そのものに「傷」と付けることはできません。
それを受持するのが末法の戒で、「金剛宝器戒」です。
この「金剛宝器戒」とは
◆此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけん(教行証御書)
とあります。一度この「金剛宝器戒」(大御本尊を受持)すれば、壊れることはありません。
壊れることはありませんが、「傷つける」ことはできる。
故に「法華経にきずをつけ給うべからず」と大聖人が言われていると理解しています。
「傷つける」行為とは、この御書にも書いてある
「中中信ぜざらんはよかりなん」(最初から信じなければ良かった)
ように、「不信」または「退転」というこでしょう。
どんな状況(乞食)になろうとも「不信」をおこし「退転」してはいけない。
【法華経にきずをつけ給うべからず】とはそういうことだと思います。
そうした信心を貫けば【自然に仏界にいたるべし】ということです。
ですから、何があっても受持し続けることが大切なのだと思います。
さて、では「法華経に傷をつけてしまった」らどうなるでしょう。
一度でも、大御本尊を受持したら「金剛宝器戒」を受けたことになるので
これが壊れることはありません。
ただし、大聖人は謗法(不信)は無間地獄と言われているので
結果、無間地獄に行った後に金剛宝器戒の力によって
再び、この大御本尊への信を取り戻す。
そんなストーリーになりますね。
この道を進むことになります。
いやいや、金剛宝器戒を受けたのに無間地獄に行きたくないですね。
でも、破門前の学会員はまだマシです。
破門後の学会員は、そもそも「金剛宝器戒」を受けてませんから
破門前の学会員よりも長く無間地獄です。
入会を勧めれてる人は絶対断らないといけませんね。
また創価の弘教(愚教)をやめさせないといけません。
その為には活動家を増やさないことですね。
それが正しい大聖人の弟子の振る舞いかと思います。
へつらったり、卑怯な態度(いろばしあしくて)で有耶無耶にしたら
「法華経に傷をつける」ことに通じる。
そんな風に思っています。