先日、昔からの知合いの学会員さんの家に行ったら
帰りがけに、学会の月刊誌である「第三文明」をもらった。
今更、学会雑誌もらっても・・・って思ったたケド
昔からの付き合いもあるので無下に断る事もできないし
とりあえず持ち帰った。
折角もらったので、少しだけ読んだ。
作家の佐藤優氏と松岡幹夫氏の
「創価学会とは何か」という連載対談があって(書籍として発売してるみたい)
その第6回目に「言論問題」再考という対談内容を読んで
なんだかなぁ~って思った。
(言論問題についてはウィキペディアで調べてね)
(佐藤)創価学会は民間団体であって国家機関ではないで「言論弾圧」にあたらない。
(松岡)「学会が様々な組織的圧力をかけた」と言われていますが、それらの圧力が仮に全て事実だっとしても非合法な事は何ひとつしていない。
つまり、合法であれば圧力をかけても許される。らしい。
(松岡)中身は低劣なヘイトスピーチに過ぎなかった藤原弘達の書籍・・
宗門から破門後の聖教や新報での、宗門を口汚く罵ったのはどこの誰だ?
それこそ低劣なヘイトスピーチだろ。
毎度のことだが、自分達のやってる事は棚上げで
同じことをやられると文句を言う。
どんな神経してるのやら。
(松岡)言論問題は、実際には要望に過ぎなかった。
(松岡)言論問題において学会はむしろ被害者であった。
被害者?合法的な圧力かけた側が被害者だって?
だったら、何故謝罪したんだ。
で、謝罪した理由ってのがなんと
(佐藤)池田会長のこれまでの歩みをずっと追っていくと。「一度は戦術的退却をするものの態勢を立て直して二度目に勝利する」というパターンが繰り返されている。
(松岡)いずれのケースも池田会長による戦術的退却は正しい選択だったと思います。たとえば第一次宗門に際して(中略)あのとき戦術的退却をしたからこそ第二次宗門問題に勝利できたのです。
だって。対談でこんなこと言っていいのかい?
これって、言論問題の時の謝罪も
第一次宗門問題(52年路線)のときの謝罪も
池田センセは心から謝罪したのでなく
【戦略的】に謝罪(撤退)しただけだったってことだよな。
つまり、52年路線時から池田センセは宗門に対し
とりあえず謝罪したテイだけ繕ったわけだ。
その後は面従腹背し、虎視眈々と宗門から離れるチャンスを狙っていた。
それが今ハッキリとわかって
スッキリしたよ。
破門されるテイを作り、まるで宗門が悪のように会員に思わせ
まんまと勝利したってことだね。
破門された事を【勝利】という言葉を使う事自体、
計画的に破門されるように持って行ったってことだろう。
まぁ、そう受け止める方が納得感があるんだよな。
しかし、自分の野望の為には、心の無い謝罪も
戦略的として平気でできる。
ある意味スゲ~ナ池田センセは。
信心なんてどこにもない。
御本尊なんて糞喰らえ。
それでいて宗教指導者ぶってる所は
普通に良心と信心のある人間なら出来ない。
ある意味偉大なお方です。池田センセは。
でも、こんな人間が宗教家を名乗る資格はあるのか?
宗教以前に道徳心すらないと思わないか?
子供だって謝る時は心から謝るだろう。
そんな人を指導者と仰ぎ師匠と仰ぎ
報恩感謝すらしている創価活動家の人達。
まぁ、師匠が師匠なだけに弟子も似たり寄ったりだろうけど、
こんな裏表のある大ウソつきのペテン師を
俺は師匠とも指導者とも思えない。
個人的には最も唾棄すべき人間だと思う。
◆教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ(崇峻天皇御書)
戦略として一度は一応形だけ謝罪する。
人の振舞いとして正しい。と松岡君は言っている。
俺には正しいとは思えない。
まぁ、池田センセの本性を池田センセの弟子と
池田センセシンパの作家が暴いてくれるとは
愉快って言えば愉快だ。
騙るに落ちるってのはこう言う事だな。
この対談は、創価活動家との対論に使えるよ。
言質とられたなぁ、松岡君(笑)
これから対論の時には使わせてもらうよ。
池田先生は第一宗門問題の時から
謝罪などする気はなかった。
当時からずっと宗門を欺き、会員を欺いていた。って
第三文明もたまには役に立つんだなぁ。