学会活動家と教義などの話をするたびに
話が噛みあわね~なぁ~って思うんだけど
最近、なんで噛みあわねぇのか薄っすら分かってきた。
幹部・活動家の言ってる事って全部感情論だからだ。
教学っぽいこと言ってるフリしてるけど
教学じゃなく感情。
そういわれれば、学会活動の源泉は感情。
活動家を動かしているのは、
崇高な信仰心などではなく、己の感情なんだよな。
「池田先生に勝利のご報告をする」
「池田先生の仇討の戦いをする」
「学会正義を満天下に示す戦いをする」
こんな学会本部・首脳幹部の
エイ・エイ・オー~とか言って活動してるんだもんなぁ
これって大聖人仏法でもなけりゃ
広宣流布でもない。
ただ自分達の集団を守りたいと言う私利私欲の感情で活動しているだけ。
学会大好き・センセイ大好き。
だたそれだけで活動している人達に
大聖人仏法の教義はこうじゃないか?
創価教学はおかしいのではないか?
と言ってみた所で、マトモな回答が戻ってくるはずもない。
彼等にとっては、
感情的に学会の言動は正しい。
感情的に学会を批判するのは許せない。
これ以外にアイデンティティなどないのだろう。
ぶっちゃけ、御本尊も日蓮も関係ないんだろな。
彼等にとって学会が全て。
その理由は学会が好きだから。
正邪なんてどうでもいい
選択基準は好き嫌い。
それはそれでいいけどさ
だったら、偉そうに正邪を語るなよ。
正邪を語るから破折しなきゃならなくなるんだろ。
好き嫌いでやめておけば、こっちだって何も言わないんだよ。