創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

教条主義ね~。

正宗を始めとする戒壇大御本尊擁護派に対する

学会活動家の批判のパターンの中に

宗門(または日寛教学)は教条主義だ。ってのがある。

彼らの言うには、時代が移り変わっているのに

大石寺にある戒壇大御本尊に固執するのは

時代遅れで間違ったた考えだ。ということらしい。

そして、教条主義原理主義といい

今では、イスラム国などを引き合いに出して

それが危険な思想である。悪である。と言いたいらしい。

そして自分たちは修正主義であり

修正主義こそ善。っていう思考回路のようだが

それ聞くたびに、ちゃんちゃら可笑しくなっちゃうの同時に

こいつら絶対真面目に仏法を信仰してね~よ。って思っちゃう。

だって、教条主義戒壇大御本尊を捨てるってのは

全く論点が違うというか

論旨が違うというか

なんていうんだろ?

クソも味噌も一緒にしちゃって何言ってんだろうなぁって感じだな。

彼らは教条主義という批判とセットで四悉檀を持ち出すのだが

四悉檀とはあくまでも弘教のやり方のことである。

それに対して大御本尊とは、ご本仏の体であり、法体である。

大聖人は

◆ 「指して引き申すべき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強ちに成仏の理に違はざれば、且く世間普通の義を用ゆべきか」

と言われているが、

この中の【且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか】  これが四悉檀。

で、【成仏の理】  これが法体である大御本尊。である。

上記の文を要約すれば

【大御本尊に違わない(違背しない)のであれば、一旦は世間の義を用いてもいいですよ】

という意味である。

それを、教条主義だの吐かして大御本尊を捨ててしまえば、

四悉檀もヘッタクレもないのである。

何よりも、本仏や法体を教条主義だのと言って切れ捨てたらもう仏法じゃない。

本仏(法体)に帰命するのが仏法における原理主義だ。

南無こそ仏法における原理であり。

三宝帰依を叫ぶことが仏法における原理主義であり教条主義だ。

そして当然のことながら、本仏(法体)は時代や環境の変わるものではない。

時代とともに仏が変わっちゃうのは爾前経でのお話だ。

本仏・本法の法体を、教条主義原理主義などと言って否定するのは

仏法の永遠性・普遍性を否定することであり

仏を否定することである。

そのような人間を仏敵というのである。

教義(ドクマ)と法体は違うのである。

教義が功徳をもたらすわけじゃない。

法体が功徳をもたらすんだ。

こんなの仏法の初歩であり、道理で考えればわかるはず

それを、教義と法体の区別もできず

法体をドクマだと学会幹部に言われ

恥ずかしげもなく他を批判するとは

どっちが教条的な思考停止人間なのか?

まぁ、どちらと言えば間違いなく

学会幹部やバリ活の方が教条主義者だろう。

その証拠は、三代会長を【永遠の】指導者ってところ。

池田センセ、確かにすごい人なのもしれないが

所詮は末法の荒凡夫だ。

ご本仏(大御本尊)に帰命する主張を教条主義と言っておきながら

自分たちは単なる凡夫に永遠性をもたしてしまう。

そして学会活動家は先生の指導には全部、【御意】だ(笑)

【御意】と言わない奴は排除する。

これこそ教条的権威主義と思うのだが?

修正主義を主張して、日寛上人の教学を否定し

戸田会長の過去の指導を修正したんだろ?

だったらいつかは池田センセの指導も修正するんだろ?

いや、修正しなければ修正主義じゃないもんね?

なのに凡夫・池田大作を【永遠】の指導者にちゃうって・・・

仏でもないただの荒凡夫に権威を与え

その指導に永遠に従っう。

これじゃ、ただのカルトじゃん。

だたの日連系カルト教団が、教学で勝てないから

教学(教義)を自分たちででっち上げた挙句に

正しい教学(教義)を権威的教条主義と根拠なく批判してるだけ。

俺には引かれ者の小唄にしか聞こえない。

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