創価ダメだしブログ

創価学会やその他異流義破折と日蓮大聖人の仏法の解説、宗教・思想を考察するブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

死後の旅・十王讃嘆抄より④

■前回のお話▶死後の旅・十王讃嘆抄より③ - 創価ダメだしブログ

【五七日】四七日の五官王から五七日の閻魔王のところに送られた罪人は、その恐ろしい顔を見て、また声を聴いては気絶してしまします。閻魔王は罪人に、「オマエがここに来たのはもう何千万回か数えきれない。 娑婆世界で仏道修行をしてもうこのここに来るのではないぞと 毎回言ってるのにまた来るとは。 幸運にも人間に生まれ、さらに幸運にも仏法流布の国に生まれたのに、 他の人が仏道修行するのを横目に見て、自分は心のままに遊び惚けてここに来たのか。 宝の山に入りながら手ブラで出てくるようなものだ。 オマエは生前、放逸無慚にして慈悲なくケチケチためた財宝は 冥途の役に立っているか? オマエの子供はオマエの今の苦しみを除くために追善供養しているか?」と責められて何も言えずに黙って嗚咽だけです。更に大王は山が崩れんばかりの大声で具生神が記録した善悪の記録を読み上げると、「オマエは生前にこうして悪業のみ造り少しも懺悔する気持ちなく今ここに来たのだ。後悔して泣いてももう遅い。地獄に行ってもらう」と裁定すると、罪人は凝りもせず「今の記録は記憶にないことが多く、具生神が間違えたのではないでしょうか?また少しの罪ならご慈悲で許してください」というと大王は怒って、「具生神が間違えた記録を記すことはない。それでも間違っているならアソコに行け」といって獄卒に命じて罪人を光明院という別院に連れて行きます。獄卒は光明院の扉を開け淨頗梨(じょうはり)という九面の鏡の中に罪人を置きます。淨頗梨鏡には罪人の生前の悪業が余すところなく映しだされます。これを見た獄卒たちは怒り罪人を粉々に打ち砕き、それが何度も続きます。そして罪人は「倶生神の間違いではなかった。こんな事と知っていたら罪業なんて造らなかったのに。夢幻のような一生のせいで万劫の間、重苦を受けるとは」と後悔し、娑婆の妻子眷属が自分の菩提を弔ってほしいと願うだけです。自分がこうなって考えてみれば、自分の父母や友人ので自分より先立った人の中にもこのような重苦を受けている人もいただろう。そんな事に思いが至らず弔わないのは実に情けない話だ。生きている時の情はお互い様で自分の為だった。亡きあとの弔いこそ真実の志しだ。生きている時だけ懇意にして死んだらそれまでで弔う事もしないなんて人倫に背いている。亡者の浮沈は追善の有無による。だから自身も信心を持ち親族へ回向するべき。特に閻魔大王の前での苦しみは大く、この35日の間に追善があればそれが淨頗梨鏡に映り大王や冥官らが大喜びし、罪人も弔ってもらい大喜びするのです。こうして罪人は作善の多少、功徳の浅深を分別され、成仏か人界行きか天界行きかあるいは次の王のもとへ送られるかが決まります。【六七日】六七日の変成王に送られた罪人は途中の鉄丸所という河原で大きく丸い石に五体を粉砕され死んでは生まれ、また粉砕されることを七日七夜繰り返して変成王の前に辿りつきます。ここで罪人はまた「ここまで受けた苦悩の大きさはどんな罪業の報いとしても十分だと思いますが、それはもう申しません。 大王の慈悲をもって特別にお許しいただき、また娑婆へお返しいただきたい。一心不乱に功徳善根を積みたいと思います。それを守れなかった時は罪科でも受けますので今回ばかりはお助けを」と願います。しかし大王は「今は過去の善悪を裁定するのだから特別扱いはしない。オマエの悪業が責めるのだから許さない」といって獄卒を呼び罪人を二本の木の根元の三本の道のある場所に連れて行きます。罪人は自分で好きな道を選べるのですが罪業の故に自然に悪業の道を選んでしまい忽ち銅の湯で身体を焼かれてしまいます。大王は「オマエが善人ならその道を行かない。無罪などと嘘を言うなど何事か」と怒ると罪人は何も言えず身を屈めています。その時に子供からの追善が有れば大王も獄卒も喜び、早々に罪人の縄を解き善処に送る判決が出ます。逆に子供が悪事を為していれば地獄行きです。だからこそ、子供に孝養の心があるならまずは亡くなった親の為に追善供養をするべきなです。親孝行には、衣食の施しが下品、父母の言に従うを中品、功徳の回向が上品の三種類があります。 父母が存命中でも功徳を回向するのが上品です。亡親に対してなら尚更ですから善根を修めて父母の成仏を祈るべきです。なお、ここで判決の出なかった罪人は七七日の王の許へ送られます。

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