先日当ブログの読者の方から勤行についての質問がありました。奇しくも今月の座談会で「勤行が何故大切かという事を話して欲しい」と地区長さんから依頼され、話をしました。その話の内容がそのまま回答になるので、先日の座談会で話したことを書きます。勤行というのは言うまでもなく日蓮正宗の基本の修行です。日蓮正宗の修行というと、勤行・唱題以外にも、折伏・登山・寺院参詣・御供養など多々ありますが、これらのひとつひとつは別体の修行(別体受持)といいます。勤行・唱題にはこれらの別体の修行が全て含まているので、勤行・唱題は総体の修行(総体受持)になります。だから勤行・唱題が一番大切な修行になるのです。詳しくは過去記事をリンクしておきます。
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勤行・唱題に含まれる修行の中に「御供養の義」があります。多くの修行は「自分の為」に行うのですが、御供養は自分の為ではなく御本仏・日蓮大聖人の為に行う修行です。そして、「仏にやすやすとなることの候ぞ。おしえまいらせ候わん。(中略)仏になりやすきことは別のよう候わず。旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたうるがごとし。また二つなき物を人にあたえ、命のたゆるに人のせにあうがごとし。」(上野殿御返事)との御指南があるように、御供養は凡夫が簡単に成仏する方法だと大聖人は仰せです。従って勤行・唱題とは、大聖人へ御供養をするのだという気持ちを持つことが大切になります。自分の願いばかり祈って、大聖人に対する御供養を申し上げないのは本末顛倒です。さて、勤行・唱題について日寛上人は、唱題が正行で勤行は正行を助ける助行だという事を、「塩酢の米麺の味を助くるが如し。故に助行と言うなり」(当流行事抄)と譬えをもって説明されてます。唱題はご飯や麺で、勤行はおかずや麺つゆのようなモノだという事です。ここで少し想像してみて下さい。日蓮大聖人が我が家にいらしたので、食事を御供養することになりました。貴方は大聖人に対して、何もおかずをつけないで、ご飯だけを差し上げますか?そんなバカな事しませんよね。私だったら、冷蔵に有るだけの材料をふんだんに使っておかずを作ります(笑)。それが、「やすやすと仏になる」ことにもなるのですから出来る限り豪華な食事をお出しします。勤行を「しない」というのは、大聖人に、おかずを付けずにご飯だけお出ししているのと同じです。「勤行をしたくない」というのは、おかずを作れるのに面倒くさいと言って、ご飯だけで済まそうとしているようなものです。自分だけなら面倒くさいから食事をしないでいいでしょう。でも、自分の親や妻子に食事を与えないで遊んだり寝たりしますか?親や妻子を大切に思っているならそんなことしないはずです。御本尊を大切だと思っているなら面倒だから勤行しないとはならないはずです。面倒でも苦手でも勤行をしっかりすることが、自分の願いを叶えることにもなるのです。というような話を座談会でしてきました。概ね好評でした。私も、勤行をサボりたいときもありますが、そんな時は大聖人の為に勤行唱題に申し上げなければと思って御本尊の前に端座します。年に何度かはサボっちゃう時もありますけど(笑)。
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