「涙活(るいかつ)」って知ってますか?わざと泣くことによってストレスを発散する活動の事を「涙活」といいます。私は時々、泣ける動画を視て「涙活」しています。猫・犬系や子供・貧困系が多いですね。「泣けるCM」とか視ています。「泣く」というと、心理学や脳科学では、「悲しいから泣くのか」「泣くから悲しいのか」という問題がしばしば取り上げられています。「悲しいから泣く」というのは、キャノン=バード説(キャノンさんとバードさんの説)で感情が先にあって、その結果として身体的反応が起きるという理論で「中枢起源説」といいます。普通はそうだと思いますよね。ところがジェームス=ランゲ説(ジェームズさんとランゲさんの説)は、その逆で感情は身体的変化によって生まれる。つまり「泣くから悲しい」という理論で「抹消起源説」といいます。確かに、映画やドラマの俳優達は悲しくなくても演技として泣いてるし、彼女とのケンカがエスカレートしてやがて彼女が泣き出すというありがちな場面では、怒っていた彼女は泣いているうちに悲しくなったと想像できます。このように女性は悲しくないのに泣くことが多々あり、「女性は弱くて守るべき存在」だと勘違いして生きてきた私のような昭和男子は女性の涙には全面降伏をしてしまう傾向があります。ともあれこの問題は現在では心理学でも脳科学でも結論はでていません。仏法では心と体の関係を【色心不二】と説いていて、感情と身体反応は不可分ですから、キャノン=バード説やジェームス=ランゲ説のように、「どちら先か」とか「どちらが正しいか」という考えはありません。敢えて言うなら「どちらも正しい」というのが仏法の教えです。もちろん心理学などの科学的アプローチと仏法では目的が違いますが、人生においては色心不二の仏法の思考が一番と腑に落ちます。「悲しいから泣く・泣くから悲しい」論は、信仰に関しても通用する理論だと私は思っています。「信心があるから神社仏閣や教会にいくのか、神社仏閣や教会に行くから信心が起こるのか」という命題と同じです。仏法の色心不二の思考で考えれば、「どっちもアリ」です。信仰心があまりないと言っている友人なども、お寺に連れて行くと少し信心が起こります。神社仏閣に行くと信仰心がわいてくる人は結構多いのではないでしょうか。今の時代は、コスパやタイパを優先させて、法事や墓参などの仏事や祭りなどの神事を省略する風潮がありますが、そうした風潮は日本人の信仰心を弱め、ひいては国力を弱めている気がします。「別に信仰してないから仏事なんてしなくていい」という人がいますが、それはむしろ逆で信仰していない人こそ宗教的な儀式をしたり、その場所に行ったりするべきだと思います。ジェームス=ランゲ説ならば、そうした行為をすることで信仰心が芽生えるかもしれません。信仰心は人生にとって大切で素敵なことだと思います。
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