歓喜仏の末の世の覚徳比丘、正法を弘めしに、無量の破戒、この行者を怨んで責めしかば、有徳国王、正法を守る故に謗法を責めて、終に命終して阿閦仏の国に生まれて、彼の仏の第一の弟子となる(聖愚問答抄)
有徳王と覚徳比丘の説話は多くの御書に引用されていますが、『涅槃経・金剛身品』に次のように書かれています。無量無辺阿僧祇劫の昔、歓喜増益如来の末法の時代に、覚徳という名前の正法を護持し弘宣する持戒の修行者(比丘)がいました。覚徳は他の比丘たちに「財を蓄えてはならない。」と厳しく戒めていました。当時の多くの比丘たちは財を蓄えることに腐心し生活も乱れていたので、覚徳比丘の戒めに反感をもちます。そして、刀杖(武器)を手にして、皆で覚徳比丘を殺そうとします。この国の王だった有徳王はこの話を聞くと、覚徳比丘を護るために眷属を率いて覚徳比丘のもとに参じ、大勢の謗法の者と戦います。この働きによって覚徳比丘は危害を加えられずに済みましたが、有徳王はこの戦闘で体中に傷が無い箇所は芥子の実ほどもないくらいの傷を負いました。すでに虫の息となった有徳王に覚徳比丘は、「あなたは本当に正法を護る者です。未来の世には無量の功徳を具えた宝器となるでしょう」と褒め称え、その言葉聞くと有徳王は大いに喜んで亡くなりました。そしてその後、有徳王は阿閦仏という仏の在す国に生まれ阿閦仏の一番弟子となり、また覚徳比丘も命が尽きた後に遅れて同じく阿閦仏の元に生まれ、第二の弟子となりました。さらには有徳王と共に戦闘に参加した人々も、同じく阿閦仏の国に生まれたのです。『涅槃経』では、覚徳比丘は迦葉仏、有徳王は釈尊の過去世の姿であると説かれています。冒頭で引用した『聖愚問答抄』では、愚人が「信心は自分事だから他人が誤っていても関係ない」(趣意)といいますが、大聖人は『佐渡御書』で、「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。」と言われているように、正法破壊の創価や顕正会などの謗法者に対しては有徳王の如く戦うことが成仏への道です。また、「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」(曽谷入道殿許御書)とあるように、正法の広宣流布・令法久住は、法を守る御僧侶とそれを外護する信徒が異体同心・不惜身命で進むことが肝要になります。自分自身が有徳王であるという自負をもって、所属寺院や総本山を外護していきたいですね。池田大作や創価学会員のように「宗門を外護してやった」などと、自慢し恩を着せるようでは有徳王と言えません。
■創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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