創価ダメだしブログ

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富士大石寺の信徒列伝⑤敬台院殿

総本山の御影堂を建立御供養した敬台院は、文禄元年(1592年)下総古河藩主・小笠原秀政と登久(とく)の長女として生まれました。父・秀政は信濃の守護職大名であった小笠原氏の末裔で、母・登久は徳川家康の長男・信康と織田信長の長女・徳姫の子ですので敬台院は信長と家康の直系の曾孫になります。慶長五年(1600年)に曾祖父の家康の養女となり、阿波徳島藩主・蜂須賀至鎮(よししげ)に嫁ぎました。『敬台寺三百三十年史』によると、総本山17世・日精上人に法華経の書写を敬台院が願い出た折に、日精上人から直接折伏され大石寺の信仰をするようになったとのことです。 嫁ぎ先の蜂須賀家は元々富士門流の京都要法寺の信徒でした。その縁から日蓮大聖人の仏法を蜂須賀家で学なび、法華経の写経を日精上人に願い出たと思われます。その折に、日精上人から本門戒壇の大御本尊と、大聖人様以来の唯授一人血脈相承の代々の法主上人のもとで信心をすることが成仏の肝要であると言われ、富士大石寺の信仰を持つようになったのです。入信後の敬台院は、要法寺の影響を受けて造像に執着した時期があり、日精上人との確執が生じ、それが原因で日精上人は大石寺を退出されましたが、後に和睦したいわれています(『続家中抄』)。敬台院というと、亡き母の供養菩提のために発願して江戸鳥越に建立した法詔寺に造像をし、それに対し日精上人は敬台院の本宗への信仰を守りつつ、正信に善導するための一旦の善巧方便として造像を容認されたことで、日精上人と共に創価の連中の批判晒されることが多いですが、誰しも初信の頃はそれまでの謗法の習気が残っていて当然です。牧口・戸田・池田にしたって入信後しばらくは謗法を犯していたのです。【門外折伏・門内摂受】の精神に則り、法主上人はそれを見てある時は謗法破折をし、またある時は善巧方便を使うのです。52年路線の時に、日達上人・日顕上人が池田創価学会の謗法を許したことと、日精上人が敬台院の謗法を容認したことは全く同じことなのです。池田大作と敬台院の違いは、池田はその後に大謗法者になりましたが、敬台院は冒頭に書いたように御影堂を建立御供養し現在も大石寺に御影堂が残っています、敬台院が謗法者のままでいたら、とっくの昔に正本堂のように御影堂も解体されていたことでしょう。また、敬台院は、御法主上人が江戸城に登城するにあたっては、駕籠に乗ったままでの登城を許可するように幕府に認めさせています。これは以前書いた天英院が『独礼席』を認めさせたことと同じです。敬台院は、正保2年(1645)に江戸の法詔寺を阿波に移して敬台寺を創立し、寛文6年(1666年)にその生涯を終え敬台寺に葬られました。法名は敬台院殿妙法日詔大姉です。

■関連記事▶私の『大石寺ガイド』⑮御影堂 - 創価ダメだしブログ

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