創価学会の日蓮正宗誹謗のひとつに、過去に稚児貫首が存在していたことを誹謗する論説がある。その内容を要約すると「子供が大聖人仏法を理解できるはずがない」という理由をつけ、そこから稚児貫首の時代に法主の権威を維持するために法主本仏論を創作した。と難癖をつけてくるのである。松岡幹夫などの正宗から離脱した脱落坊主が言っているが、かつては、元正信会・久保川法章なども「稚児貫首」を取り上げ「血脈二管説」を主張していた。脱落坊主や創価の血脈や戒壇大御本尊へ誹謗は、元を正せば正信会の論説を流用したものが多いが、「稚児貫首」に関する主張もそのひとつだ。稚児貫首と呼ばれれるのは、9世・日有上人(17才)、12世・日鎮上人(13才)、13世・日院上人(9才)、14世・日主上人(18才)の事だ。創価はこれらの法主上人は若すぎるので大聖人仏法の法門が理解できるはずがないと主張するが、「若いから難しい法門が理解できない」という理屈は単なる感想に過ぎない。現代日本では成人は二十歳からだが昔の元服は15歳前後だった。伊達政宗が11歳で元服しているように現代と昔では年齢の感覚が違う。また現代においても、天才・神童と呼ばれる子供はたくさんいる。大聖人御自身も「法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は、日蓮らは十七・八の時よりしりて候いき」(南条兵衛七郎殿御書)と、17・8歳の時には既に念仏の法門に通達している。このように年齢と能力は無関係である。そして何よりも稚児貫首誹謗の的外れな点は、大聖人仏法の相承を法門相承だけだと思っている点だ。もとより我々に相承の内容は分からないが、日応上人は相承には別付属の「法体相承」と総付属の「法門相承」があると明かされたうえで、「而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし」(弁惑観心抄)と、唯授一人血脈相承の中心は「法体相承」であると明言されている。つまり相承は年齢云々は関係なく、その使命と因縁により決められるのであり、その「法体相承」を信じる処に大聖人仏法の信心の血脈が通うのである。従って、既に法体相承を受けられた稚児貫首を権威づけることなど不要なのだ。いかなる時代でも、何かにつけて血脈相承に難癖をつけて自身の謗法を正当化する謗法者はいるものだ。日興門流の僧俗は御当代の法主上人の所持される法体を尊信するのだから法主上人の年齢など関係ない。日顕上人の、「時代背景として稚児貫首ということが行われた時代があるのです。老僧、あるいは分別のある僧侶はいくらでもいたのでありますが、わざわざ稚児を選んで次の貫首に定めるという、そのような宗門伝承の在り方が存した時代があるのです(中略)。しかし、そこには金口を元とする金紙が厳然として存し、その金紙の内容にまた、金口の意義における厳然たる伝承が存するという上からの稚児貫首という在り方であったのです。それを宗門の僧団全体が考え、支え、血脈を伝持していくという時代状勢であったわけです。ですから、そのような時代背景、状況、慣習等を全く無視して、まして僧侶でもない、また信心で拝することもできないような創価学会の在家の人間の考えで、唯授一人の血脈相承の内容について、「これは十歳だから、相承が伝わるというのはおかしいではないか」と質問してくるのは、信を見失った全くの見当違いであり、謗法なのです。」との御指南をよく読んで理解しろ。無駄に歳だけとって知性の欠片もない境界知能の創価員が、正宗の稚児貫首を批判するとは笑止千万である。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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