選挙のどさくさに紛れて、創価班(S)・牙城会(G)は今年の7月で活動終了とするアナウンスがあったようだ。創価班・牙城会といえば創価学会男子部の象徴的な存在で、現在の壮年部の中にも、SやGだった会員も多い事だろう。実は私はそのどちらもやっていない。理由は幹部面接の面接官に「君は創価班も牙城会もやっていないんだね。人材グループに入らなければ本物の信心にならないよ」と言われたことにカチンとして以来、「大学校免除」という誘惑にも乗らずキッパリお断りした。(大学校とは正式なSやGなまる前に1年間訓練する組織で、卒業条件に折伏1世帯と聖教新聞啓蒙12Pが課せられるがクリアしなくても卒業できる)。しかしその代わりに広宣部になるのだけは了承した。創価班ではない広宣部員なんてあまりいないと思うが、ともあれ私はSもGもしていないのでSやGに何の思い入れもないのだが、SやG経験者の壮年会員には青空球児・好児の様なブルーのジャケットで体育会系の乗りの創価班や、任務着任の為にウソついて会社を早退した牙城会に青春の思い出が詰まっていることだろう。そのSとGも遂に年貢の納め時が来たようだ。数年前にSとGが合併して大学校がひとつになった時から将来的には無くなると予想はしていたが思ったよりも早く廃止になった。もちろん廃止の理由は会員に負担をかけたくないという人道的な事ではなく、人が集まらないという人員的な問題と、創価会館での会合が激減しているからSやGの需要がなくなったということだろう。「無冠の友」「創価班」「牙城会」といった池田大作が手塩にかけて育てた組織が次々と消滅していき、創価の脱池田化はますます加速度を増してきたようだ。それでも多くの創価員は何も思わず創価を退会することなく創価員のまま生きていくことに驚きを禁じ得ない。戒壇大御本尊を棄て、今度は池田大作も捨離断をしていても何も感じない鈍感力こそが創価学会員の強みであり世間の人達から嫌われる理由だろう。この流れ的にはやがて三代会長を永遠の指導者から外す日も来るだろう。その時には創価に一体何が残るのか?今ですら大聖人の仏法がない状況なのに、池田教ですら無くなったらもう選挙しか残らないではないか。創価学会員は早くこの創価難破船から降りた方がいいだろう。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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