創価ダメだしブログ

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日本では何故、裸像は敬遠されるのか?【芸術・文学】

公共空間に展示されている、裸像を巡って「不適切」という理由で撤去する動きがあります。「芸術なら公共空間でなく美術館に展示せよ」という人もいますが、私は美術館という特別な閉鎖空間に芸術を閉じ込めることは寧ろその作品の芸術性を損なう行為だと考えています。最近は亜細亜大学の高山陽子教授が、「公共の場に女性の裸像が置かれているのは日本だけ」と発言していますが、これは間違っています。例えば「小便小僧」は世界中に在ります。ベルギーのブリュッセルの「小便小僧」が世界的に有名ですが、その「小便小僧」の近くには、なんと「小便少女」とうヤバい彫刻(噴水)もあります。

ベルギーの小便小僧

更にイタリアには「おっぱい噴水」が結構あります。特に世界遺産の街・アマルフィの「聖アンドレアの泉」(フォンターナ・サンタンドレア)の「おっぱい噴水」は、260年くらい前からこの地にあったそうです。

アンドレアの泉の「おっぱい噴水」

このように、世界中では日本よりも過激な(笑)裸像が堂々と公共空間(しかも観光地名所になっている)に設置されているので、高山教授の見解は間違っています。こうした彫刻を芸術とみるか不謹慎とみるかは、その国(民)の文化によって異なりますが、どうやら日本では裸像を不謹慎と思う人が多いようです。でも古代ギリシャの彫刻は男性の裸像でした。古代ギリシャ人にとって人間の姿は神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々も喜ぶと考えていて、そこから「美しい男性の姿」=美=善という思想がありました。例えば紀元前6世紀頃のアテネでは定期的に美男子コンテストがありました。また当時のギリシャは兵役義務があったので鍛えた肉体は必須でした。こうした背景で古代ギリシャでは主に男性美を追求したギリシャ彫刻が発展しました。「アルカイック時代」(前600年頃~前480年)から始まり、その後に「クラシック時代」(前480年~前323年)にギリシャ美術が完成したといわれます。裸体像が完成したのはこの「クラシック時代」です。またそれまでタブー視されていた女性の裸体像が制作されたのもこの頃で、プラクシテレスが制作した『クニドスのアフロディテ』は当時のギリシャでセンセーションを起こしました。

クニドスのアフロディテ

西洋美術は、クラシックからヘレニズム・ロマネスク・ルネサンス~と続いていきます。西洋美術史はまた別の機会に書こうと思いますが、前述のように西洋彫刻の根本は裸体像にあり、「神」という宗教的な思想にあります。つまり西洋人は裸体を美しいと見るわけです。日本においてはそのような思想はなく、逆に仏教においては女性は、「穢れ」の存在ですから女性の裸体を見るなんて罪悪なんですね。こうした思想が日本で裸像が敬遠される背景ではないかと考察します。だから女性の裸像を敬遠するということは、女性そのものを忌み嫌うことであり逆に女性蔑視ではないかと思うのです。『法華経』ではそうした女性の即身成仏が説かれ、その『法華経』を第一と主張した日蓮大聖人には女性信徒が多いんですよ。そこが日蓮大聖人の魅力のひとつです。芸術とエロは紙一重なところはありますが、私は女性の裸像が美しく平和の象徴として公共空間に展示されていることは良い事だと思ってます。以前、十和田湖に旅行に行った時に、高村光太郎作の『乙女の像』を見た時にその美しさに感動しました。おなじヌードでもやっぱり芸術とエロは違います。ヌードということだけで一緒くたにしてしまうのはちょっと違うなと思います。

乙女の像(秋田県十和田湖

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