創価学会は自分たちの教団の事を「創価家族」(又は学会家族)などと言って、創価学会の組織は家族のような絆があるとアピールしていて、本気でそう思っている創価学会員も多い。私も創価活動家時代は創価学会の組織は「そういうもの」と思っていたが、役職が上がると、組織内の会員同士の不倫・窃盗・イジメ・ハラスメント・派閥抗争などを目の当たりにするようになった。でも、「家族だから」そのような創価祖機内のゴタゴタにはなるべく触れないようにしてきたし、時には幹部として組織を守るために隠蔽工作にも似た処理をしてきた。しかしある創価組織内の出来事を契機にようやく「麗しい創価家族」なんて池田大作が作り上げた妄想の世界でしかないと気が付いた。いや、気が付いたというより認めることが出来たという方が正しいかも知れない。創価学会員は、「創価家族の麗しい絆」が創価学会の世界だと言っているが、実際は創価学会員が群れているだけで、会員同士が麗しい人間関係を築いているわけではない。その証拠に、昨日まで「創価家族」の一員だった人が創価学会を退会したら、手のひらを返したように、「恩知らず」「裏切り者」「仏敵」などと罵り、街であっても挨拶のひとつもしない創価学会員がゴマンといる。人間同士が本当に繋がっていれば、仮にどちらが創価学会を退会したとても、その絆が切れることはない。現に私にも創価男子部時代から、私が法華講となったいまでも変わらず付き合いが続いている現役の創価学会員もいる。しかしほとんどの創価学会員は、私の方から彼等に対して何か不義理をしたわけでもないのに相手から離れていった。「麗しい創価家族」の実態は、鰯の群れようなものだ。鰯が群れるのは、群れることによって大きな生物のように見せかけて外敵から身を守る為である。創価学会員も鰯と同じ。一人では法華講員を破折するどころか対論から逃げ回り、出来ることと言えばSNSやブログで匿名で正宗・法華講を誹謗することくらいだ。そんな一人では何もできないヘタレが、自分を誇張するために群れているのが創価学会の組織だ。当然、池田大作もまたそんな鰯の一匹に過ぎない。創価学会員が創価学会を、「世界に広まっている」「発展している」などの自慢するのは、自分たちの群れがどれだけ大きいかをアピールして、自分の弱さを隠しているに過ぎない。もっとも、「群れ」がいくら大きくなったところで所詮は鰯なのだから、鯨になることはない。「弱い人間が宗教にのめり込む」というはある意味で、新興宗教団体の真実だと感じる。自分の人生に責任を持ち自立して歩んでいくためには、他者と群れるのではなく、繋がっていくことが大切だ。「群れる」というのは、自分の利益為に互いに他者に依存し、他者を利用することだ。そんな群れの中に身を置いておいたら、自分の成長も望めないし、何よりも疲れるだけだ。人間関係の極意は、「群れるな!繋がれ!」だと私は思っている。創価学会員にも創価の群れに疲れてストレスを感じて会員は大勢いるだろう。そういう会員は、もう無理して群れの中にいなくていい。創価の群れから飛び出し、広く多くの人達と繋がる道を選んだ方が幸せになれるだろう。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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