創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

教義と矛盾する法要【曹洞宗(禅宗)】

先日、義父の三回忌法要が妻の実家の墓がある曹洞宗の寺院で行われた。曹洞宗道元を宗祖とする禅宗の宗派だ。曹洞宗の法要も僧侶が読経して焼香するという手順で、読んだ経典は、最初の『般若心経』と最後の『法華経』の『観世音菩薩普門品第二十五』は分かったが、あとは多分『修証義』だと思うけどそこは確かではない。本堂の本尊は観世音菩薩だった。禅宗と言えば【不立文字】といって、経典等の文字は不要というのが教義の根本となる。なかでも、曹洞宗は【只管打坐(しかんたざ)】といって道元の座禅が唯一の修行だ。【只管打坐】というのは、ただ座禅を組むだけで他には一切の修行はなく、座禅を組んでいる自分がそのまま仏と一体であると説く。栄西臨済宗では【公案】といういわゆる禅問答が重要になるが、曹洞宗公案がはないのが特徴だ。この文字や言葉に頼る成仏は無いという【不立文字】が曹洞宗の宗是なのだが、その曹洞宗がどうして葬儀や法要の時に読経をするのか不思議で、法要が終わったあとに僧侶に、「不立文字の教義なのに、法要の時に読経するのは何故ですか?」と尋ねた所、「お釈迦様への報恩感謝とお経の力で個人に功徳を回向する」という答えが返ってきた。祖以上は突っ込まなかったがやはり納得がいかない。お釈迦様への感謝というのに本尊が釈迦如来でなく観世音菩薩(この寺院だけなのかもしれないが)だというところもさることながら、【不立文字】なのに、「経典の功徳」を説くのは一体どういう事か?経典に功徳があるならば、【不立文字】の教義を立てること功徳を塞ぐことになる。曹洞宗の教義に忠実に従うならば法要では読経をせず僧侶と遺族で座禅を組んでその功徳を先祖に回向するのが曹洞宗的には正しい法要の在り方ではないだろうか。【只管打坐】なのに法要で座禅が無いのはどうも腑に落ちない。余談になるがこの寺院の境内には様々な種類の仏像があるのだが、それも【即心是仏】(自分の心が仏ある)という教義と矛盾する。禅宗の祖である達磨が示した『四聖句』は、『不立文字』(起句)、『教外別伝』(承句)、『 直指人心』(転句)、『 見性成仏』(結句)という禅宗の基盤をなす教えだが、【不立文字】とは、経典(文字)を否定してるわけでなく、経典は禅に入るまでの補助的な役割を担うためのもの(いわば方便)だから禅宗で読経することは何も矛盾していないという反論もあるが、ならば禅に入っている僧侶は読経の必要はないし、経典に功徳を認める時点で読経するのはやはり矛盾している。このように曹洞宗禅宗)には先祖回向できる道理がどこにもない。そもそも座禅は自己の成仏のみで、他者を成仏させる法力・仏力はないだろう。仏教に無知な一般人の信仰心に付け込んで、道理に合わない法要を行い布施をもらう。そんなだから伝統仏教宗派が葬式仏教と揶揄されるのだ。正しい先祖回向をするならば、やはり日蓮正宗だと再確信した。曹洞宗僧侶の「亡くなられたお父さんは、いま近くまで来ていますよ」という法話を聞いたときに、「やっぱり曹洞宗じゃダメじゃん」って思った。これでは亡くなった義父も悲しかろうと、義母もずっと折伏しているのだが、これがまた中途半端に信仰心があるからなかなか苦戦してる。それでもなんとか義母が元気なうちに折伏成就したいと思っている。そして義母の二人の息子(義兄・義弟)もなんとか正法である日蓮正宗に帰依してもらいと願っている。

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