今回からインドの釈迦(仏陀)の有名な弟子達についてシリーズで記事にしたいと思います。釈尊と言えば十大弟子が有名です。その中でも釈迦の両腕的存在なのが、シャリープトラ(舎利弗)とモッガラーナ(摩訶目犍連・目連)です。初回はその舎利弗と目連の二大長老について書きます。
舎利弗は智慧第一といわれ、法華経を始め釈迦の様々な経典に登場します。目連は神通力第一と言われ神通力で亡き母が餓鬼界に墜ちているを知って母を救う方法を釈尊に教えてもらい、それが盂蘭盆会(お盆)の起源とされています。
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舎利弗と目連は、最初は王舎城の遍歴行者・サンジャに他の250人のサンジャの弟子たちともに師事していましたが完全に満足を得ることができませんでした。そんなある日のこと舎利弗は釈尊の弟子のアッサジ(馬勝)と出会い、アッサジから釈尊の教えの一端を聞き即座に釈尊の説く縁起の法を理解し、「先に悟りを開いた方が相手にそれを教えよう」という目連との約束に従ってアッサジとの経緯を目連に話すと目連もまた縁起の法を理解します。その後、二人は残る250人の出家者達に自分たちの思っている事や二人は釈尊の弟子になって修行することを決意した事を伝えると、250人の出家者達も、舎利弗・目連に従い釈尊の元で修業することを希望します。さらに二人は師であるサンジャにも一緒に釈尊の元へ行きましょうとと誘いますがサンジャはその申し出を断り、二人が思い留まるように説得しましたが、二人の決意は固く引き留めることはできませんでした。結局、舎利弗と目連そして250人の出家者達は全員釈尊の元へ向かいます。弟子を失ったサンジャは熱血を吐いたと経典では伝えられています。それほど怒り心頭だったということです。舎利弗と目連が釈尊の弟子になった事で王舎城の良家の子弟が続々と釈迦の弟子になり出家修行者になり王舎城では釈尊に対する批判が起こりましたが釈尊は、「もし非難する声を聞いたら、仏陀は真理を説き、本人が希望し、ただいい方法で入門させている。どうして智慧のある者が仏陀をねたむだろうか、と答えたらよい。」と言って非難にも全く動じず、やがてすぐに非難の声は無くなりました。このように舎利弗と目連そしてその一行が釈迦に帰依したことは仏教教団にとって重要な出来事でした。この二人が双璧となり釈尊を支え教団の発展に尽くた功績は計り知れません。しかし二人とも釈迦よりも先に亡くなります。晩年の釈尊のとってこの二人を失った喪失感もまた大きくかったようです。
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