創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

『歴史とは何か』E・H・カー【歴史・地理】

英国の歴史家、E・H・カーの書籍で『歴史とは何か』を読んだことがありますか?半世紀以上も前に書かれた書籍なのですが今でも歴史学の教科書的な必読書だと思います。カー以前の歴史学の考え方は「歴史とは過去の事実の集まり」でしたが、カーはその考えを否定します。本書の冒頭で、『ルビコン川を渡る』と言う言葉の意味を取り上げています。これは、紀元前49年1月10日にシーザーがルビコン川を渡った事実に基づいていますが、ルビコン川を渡った人はゴマンといるのにシーザーが渡った事だけが歴史上の事実として残り他のゴマンのルビコン川を渡った人達の事実は歴史に残っていません。このことから、カーは歴史とは多くの事実の中から歴史家が選択した事実をつなぎ合わせたものだと言うのです。これは19世紀までの「歴史とは過去の事実の集まり」という実証主義歴史学の考えを覆す思考で、現在ではカーの考え方が歴史学の主流になっています。確かに自分のこれまでの人生でも過ごしてきた多くの日々の中から自分にとって意味のある日を選んで自分史を編んでいます。過ぎ去った全ての日々は「事実」でも「歴史」ではないのです。またカーは「歴史的事実は、常に現代の視点で選ばれ解釈される。」と言います。過去の「歴史的事実」は現在の人間の視点によって変わるということです。例えば故・ゴルバチョフは欧米諸国では、「20世紀後半の最高の政治家」と高い評価を受けていますが、現在のロシアでは、「ソ連を崩壊させた人物」として批判的な見方が多いようです。歴史に関する評価とはこのように必ず、歴史的・社会的環境の影響を受けます。つまり歴史とはどこまでも主観的で有り、つど修正される存在だということです。そして、その主観的な歴史は絶対的真理でも絶対的虚偽でもありません。カーの名言で「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」と言う言葉があります。歴史とは過去の事実の背後にある思想を理解できなければ語れません。そしてその思想の理解は現在の視点を通してしか理解できません。だからその時は分からなかったけど時間が過ぎると分かるというような事は多々あるわけです。常に現在の視点から過去を精査することが歴史を学ぶということです。それと重要なのは歴史上の事実は何をもって判断するか。要するに史料をどう扱うかということです。史料というものは、池田創価を見るまでもなく都合よく改竄されたり隠蔽されたりする場合が多々ありますし、歴史家は自分都合でその史料を取捨選択しています。取捨選択される側の史料もさまざまな種類の史料があります。「史料学」については別の機会に記事にしますが、どのような史観を持つかは現在から未来に関わることでもあるので、学校や他人から押し付けられた歴史をそのまま信用するのでなく自分自身が歴史を学び自分の史観を持つことが大切だと思います。

創価退会相談・質問・疑問・対論など常時コメントを受付ています。メールでの問合せは、「プロフィール」に公開しているアドレスまで。

▼一日「イチ押し」お願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村