創価ダメだしブログ

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日蓮大聖人のご生涯に学ぶ④身延入山前期

佐渡流罪から鎌倉に戻られた大聖人は文永11年4月8日に平左衛門と対面し殿中問答をしました。幕府は以前と打って変わって大聖人に対して懐柔策を弄しますが大聖人はそれを拒否し、3度の諫暁も幕府が用いなかったため、「三度国をいさむるに用ゐずば山林にまじわれ」との賢人の習わしに随い身延入山を決意され、文永11年5月17日に身延に入り、以降は令法久住の為の御準備を始めます。身延での9年間は化導の面からいうと建治三年までの4年間が前期、弘安元年から御遷化までの5年が後期に分類することができます。このことは御本尊の相貌の変化に見て取れます。身延前期の大きな特徴は三大秘法の開示です。身延入山後の最初の御書である『法華取要抄』で、「問うて云わく、如来の滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえるところの秘法は何物ぞや。答えて曰わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」と初めて三大秘法の名目を開示されています。身延入山後に三大秘法の名目を開示されたのは大聖人の法華身読が完了されたことを示しています。つまり佐渡流罪中は発迹顕本はされたものの未だ法華身読の最中であったということで、身延入山後が事実上の内証・外用ともに御本仏のお姿を顕されたということです。またこの年に最初に蒙古襲来(文永の役)があり、大聖人の予言が的中したことも大きな出来事です。身延前期においては、『撰時抄』『報恩抄』の重書を著わしています。特に『報恩抄』においては三大秘法の名目とともに、「日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならびに上行等の四菩薩、脇士となるべし。」と本尊の相に言及されていることは重要です。また本記事においては詳細は省略しますが佐渡期から身延前期の建治期における本尊の相貌は身延後期の弘安期と対比すると未究極の本尊であることを、日寛上人が『観心本尊抄文段』で、「問う、文永・建治の御本尊に御本懐を究尽するや。答う、文永・建治の御本尊、多く分身及び善徳仏を挙ぐ。これに相伝あり。或は仍文上を帯するか云云。問う、弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり」と御指南されています。もちろん未究極の本尊といってもその意義や功力は備わっていますが、それらの本尊は未だ令法久住の為の御本尊ではないということです。このように身延入山前期においては、出世の本懐たる戒壇大御本尊御建立に向けて用意周到に準備されいた期間といえます。

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