創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

広布唱題会の話

日蓮正宗では毎月第1日曜日に、『広布唱題会』という唱題行をしています。これは、日顕上人貌下が発願して平成15年から総本山と全国末寺で一斉に開始されたそうです。『広布唱題会』に際して、日顕上人は「常に広宣本日は広宣流布を御祈念申し上げるとともに、大法興隆のために自らがあらゆる面において精進していくということを御本尊様にお誓い申し上げ、実際に真の仏子としての信心修行に邁進するための唱題行であります。よって、この唱題行において「自分は広宣流布のために現在の立場から何かできるのか」ということをしっかり見定めていくこと、また、それを実際に実践していくことが大切と思います。このことは御信徒のみでなく、当然、僧侶も考えるべきであります。否、僧侶こそ、縁のある多くの人々を、正法広布のため、成仏のために導くところの重大な責務を持っておるのであります。」日蓮正宗の僧俗が和合して広宣流布に進んでいくという意義を御指南されています。私は正宗移籍直後のしばらくの間は『広布唱題会』に参詣しませんでした。日曜日は会社の営業日という事もありましたが、唱題行は一人でも出来るのでわざわざ全員同じ時間に同じ場所に集まって唱題するのは非効率だと創価時代から思っていましたし、唱題会でみんなで題目を上げたとてそれが異体同心とはならないと思っていました。よく創価で言われた「呼吸を合わせる」という指導も唱題の呼吸だけ合わせて何の意味があるのかと疑問でした。正宗の『広布唱題会』にしても、全員が広宣流布をずっと祈っているわけではないはずです。広宣流布以外の事や個人的な事を祈っている人もいるでしょう。1時間の唱題の間に折伏の事だけを祈り続けるのは簡単そうで難しいです。全員が広宣流布を祈っていないなら異体異心ではないか。それなら自宅で一人で折伏広宣流布を祈っていても同じだろうと思っていました。しかしある日、日達上人の「自分一人、家でお経をあげていればいいんだというのは、それは和合僧ではない。それはその人ひとりの信心に過ぎない。みんな寄って補い合い、信心の足りない人は共に補い合って、お題目を唱えるということが大事である。」という御指南を目にしまし、それまでの自分の我見・浅識に気付き大いに反省したのです。確かに唱題会で広宣流布を祈っていない人もいるでしょう。でも自分が広宣流布を祈っているならば、「そうじゃない人」も引き上げることができるし、逆に自分以上に広宣流布を強く祈っている人に自分も引き上げてもらえることができる。それが唱題会の意義なのだと気が付いたのです。日因上人の、「一結講中異体同心未来迄も相離れ申す間敷(まじく)候。中に於て一人地獄に落入り候はば講中寄合て救い取るべし、一人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし」(十箇条法門)という有名な御指南がありますが、まさしく唱題会は「一結講中・異体同心」を事の上で顕した姿だったのです。それ以来、ほぼ欠かさずに『広布唱題会』には参詣していますし、それ以外の寺院での唱題会もできるだけ参詣するように心がけています。とくに毎月の『広布唱題会』は、法主上人が大導師です。ここ2年半、私は毎月御登山してその都度日如猊下と勤行唱題させていただき御開扉を受けていますが、毎月御登山できない人も『広布唱題会』に参詣すれば法主上人と一緒に唱題ができるわけですから、こんなに有難い唱題会はありません。だから毎月1回、年12回しかない『広布唱題会』にはできる限り参詣すようにしています。『広布唱題会』を始めてくれた日顕上人と、唱題会の意義を教えてくれた日達上人に感謝です。

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