当ブログでは池田大作を批判しているが勘違いして欲しくないのは私は池田大作に対して恨みつらみの感情は全く持っていないし嫉妬も敵愾心もない。私が池田を批判するのは、日蓮大聖人の仏法を歪曲し権謀術数で富士門流を貶め、会員を騙し大聖人仏法から退転させたという仏法上の大悪人・大謗法者としての池田大作を破折しているだけで、それ以外の池田は私にとってはリアルな存在ではなく、テレビの中のどうでもいいタレントと同じで何か特別な感情を抱くほど池田個人に対して興味が無い。ただ池田の言動などを俯瞰すると尊敬に値するような人間ではないと思っている。そんな池田だが唯一「創価愛」だけは本物だった思う。勿論それは創価=自分という思考の延長だから「創価愛」=「自己愛」なのだが、それでも「創価愛」だけはウソではなかっただろう。この「創価愛」こそが池田大作に「有って」、原田稔に「無い」ものだと思う。私が地元の創価組織から追放されたのはかれこれ20年以上前だが、その頃は池田はまだ健在で元気に過ごしていた。そして池田は会員を大切にせよといつも幹部に指導をしていた。当時、末端組織では選挙や新聞啓蒙の目標を数字を達成する為に分母を減らすのが目的で地元に不在で統監だけ残っている会員や厳しい(会ってくれない)会員の統監を削除していた。ある時、池田がそれを注意し無暗に統監を削除することはしなくなった。私が組織を追放されたときも、それは地元の圏・本部・支部の幹部連中が勝手に結託して追放状態にしただけで、実際に創価本部から査問を受けたわけでも活動停止を言い渡されたわけではない。むしろその事情を知った総県長(副会長)が結託した幹部連中を叱責した。もっともその時には私は既に創価学会活動を続けるモチベーションは完全になくなっていたので、私を追放した幹部達の謝罪(といっても総県長に叱責されたからカタチだけの謝罪をしてきただけだが)を受けいる気持ちは全くなく創価組織に戻る気持ちもなかったが、それだけ会員を大切にしたきたことは事実でそれは池田の「創価愛」が有ったからだろう。私も会社を経営しているのでよくわかるが自分で苦労して育てた組織は我が子のように可愛いもので、池田も恐らくそんな気持ちを創価組織に対して抱いていたのだと思う。それに反して秋谷や原田にはそうした「創価愛」は感じない。秋谷の時はまだ池田も健在だったからマシだったが、池田が公の場から姿を消してからの原田創価は本当に酷いものだ。会員を査問して処分して、こともあろうか会員に対してスラップ訴訟もする。原田にとって創価学会員なんて金と票を集めてくる下僕でしかない。また原田は池田に承諾を得たといって戒壇大御本尊を棄て、池田が監修したと言って教義を変え大聖人も棄てた。それが会員達をどれほど困惑させるか全く考えていない。そこに「創価愛」は微塵も感じない。こんな原田創価の傍若無人を許し援護する創価学会員にも「創価愛」がないと思う。なんなら私の方が創価愛があるのではないかと思う。結局は原田も今の学会活動家・幹部も心血を注ぐほど創価学会の活動をしたことが無いのだろう。自分の功徳の為だけの信心で創価学会の為に信心をしたことがない人間には「創価愛」など生まれるはずもない。口では「池田先生」といいながら原田の手先になっている姿は、池田が言うところの「敗北者」ではないか。自分の私利私欲の為にせよ、池田は創価学会という組織と会員を原田よりも大切にしてきたの事実である。原田には私利私欲しかない。そこに創価学会の弱体化と衰退の原因があるのだろう。もっとも、原田如きの凡人が天才詐欺師の池田と肩を並べることは不可能だが。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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