創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

信仰の歓喜とカルト宗教の熱狂。

創価学会員は創価には【歓喜】があるとアピる人が多い。そして法華講には歓喜がないとディスるのが定番だ。確かに創価学会員は、みんなで集まって馬鹿笑いしたりしてワチャワチャしていて、それはそれで楽しいのかも知れない。でも見方を変えればトランス状態になっているだけで、歓喜でなく興奮しているだけとも言える。実際に初め座談会に参加した時に創価学会員から感じたのは、、狂喜‥いや狂気に近いものだった。そのような感情は仏教における歓喜とは全く別物だ。【歓喜】とは仏教用語で【かんぎ】と読む。『法華経』の譬喩品にも「歓喜踊躍」の言葉がある。そして仏教の歓喜とは、仏の教えを聞き、信じて疑わない心が定まった時に湧き上がる喜びのことである。「選挙で公明党候補が当選した!」なんていうのは仏教の歓喜ではない。『御義口伝』には、「合掌とは法華経の異名なり向仏とは法華経に値い奉ると云うなり合掌は色法なり向仏は心法なり、色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」と説かれていて、大聖人仏法の【歓喜】とは、御本尊に向かい勤行唱題を申し上げる時に心の底から起こる喜びのことである。それが大聖人信徒の歓喜なのである。創価のように大勢で集まって活動して興奮して喜ぶのは信仰の歓喜ではなく、アイドルのコンサートで盛り上がっているのと同じで世俗的な歓喜だ。それなら何も創価学会の活動で歓喜する必要はない。創価活動に使う金と時間で、いくらでも創価活動より楽しい他のことで歓喜することができる。法華講に「歓喜がない」という創価員はこうした信仰の歓喜を感じたことが無い人達なのだろう。そんな創価学会員の体験談が薄っぺらいのは「信仰の歓喜」を感じるという信仰体験がないからだと思う。常に仲間と一緒にいて盛り上がって熱狂していないと歓喜を感じないというのは信仰者として何か違うし、信者を「熱狂」させて抱え込む手法はいかにもカルト宗教団体のやり方だ。法華講創価の様なアイドルのコンサートに熱狂するような信仰ではない。いうならばオーケストラのコンサートを聴いて一人静かに楽しむのが法華講の信心だ。私は元来、大勢でワチャワチャするのは好きじゃなくて、何するにせよ一人か少人数で行動したいタイプなので、創価よりも法華講で法悦と言えるような歓喜を味わう方が幸福を感じる。勿論、創価時代でもそれなりに法悦は感じたが、創価では絶対に味わえなかったのが総本山大石寺で湧き上がる歓喜だ。雄大な富士山と四季折々の風情を感じる開放感のある境内、歴史と由緒ある伽藍、凛と澄んだ空気、歩いているだけで喜びが湧いてくる。東京信濃町創価本部では絶対にこの喜びは味わえない。そしてやはり何よりも日蓮大聖人の色心二法である戒壇大御本尊様にお目通りし、法主上人と共に勤行唱題を申し上げることが出来るのは「歓喜の中の大歓喜」である。私を含め多くの元創価員が戒壇大御本尊にお目通りした際には、そんな大歓喜を体験している。それはカルト宗教の熱狂とは全く別物なのである。戸田城聖会長が、「なんといっても御本山(大石寺)に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心になれない」と指導した意味が、総本山・大石寺に登って御開扉を受けてみればよく分かる。だから総本山に登山できない創価顕正会員が可哀想なのである。創価学会員さんには一日も早く日蓮正宗に移籍して本当の信心の歓喜を体験して欲しいものだ。本当の信仰確信と体験は戸田会長の言うように、戒壇大御本尊様にお目通りしなければ得ることはできない。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

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