富士日興門流は日蓮大聖人を御本仏と立てるので、あまり仏陀(釈尊)の事は深く学習しません。釈尊の生涯についても知らない人も多いと思います。大聖人を御本仏立てているとはいえ一般的には仏教言えば釈尊という認識ですから弘教する上では少しは釈尊についても知っておくべきなので、仏陀(釈尊)の基本的な超略伝記事を書いてみます。仏陀の生涯は「誕生」「出家」「降魔成道」「転法輪」「涅槃」に分けられ語られることが多いです。仏陀の誕生は一般的に今から約2500年前にネパール南部のインド国境近くのルンビニ園で誕生したとされてます。父はシャカ族のスッドーダナ、母はマーヤー夫人で仏陀はシッダールダ太子と呼ばれ29歳まで王宮で王子として過ごします。太子が7歳の時に生母マーヤー夫人が亡くなりその後はマーヤー夫人の妹のマハープラジャーパティーに育てられます。王がマハープラジャーパティーを後の王妃にしたことで、異母兄弟のナンダが生まれてます。従弟にはデーヴァダッタなどがいます。16歳の時にヤショーダラー妃と結婚しラーフラという男児を儲けます。仏陀の出家は29歳の時といわれていますが有名なのは『四門出遊』の逸話です。太子は王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、東門の外で老人、南門の外で病人、西門の外で死者、最後に北門の外で修行者に出会い出家を決意したといといいます。出家した釈迦は最初に二人の仙人の許を訪ねますがすぐに外道の最高の境地を会得し仙人の許を離れガヤー(伽耶)郊外の森で従者5人と座禅・無息の行・断食などの苦行を行いますが、苦行では悟りを得られないと知った釈迦は苦行を捨て托鉢にでかけ瞑想に耽ります。スジャータから乳粥の供養を受けたのはこの時の話です。また仏陀が苦行を捨てたの見た従者5人は「釈尊は堕落した」と受け止め釈迦から離れ鹿野苑へ向かいます。さて瞑想を始めた仏陀に悟りを得させないように悪魔たちが現れ誘惑や脅迫を仕掛けて邪魔をしてきます。その様子は『スッパニータ』などに書かれていますが、その攻撃は女性を使った「誘惑」、暴力による「魔軍来襲」問答を仕掛けてくる「証言」の3段階と言われます。こうした悪魔との戦い勝利した釈尊はついに悟りを開き仏陀になりました。この悪魔との戦いを「降魔成道」といいます。日蓮大聖人も「第五の巻にいわく『行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる。乃至随うべからず、畏るべからず。これに随えば、まさに人をして悪道に向かわしむ。これを畏れば、正法を修することを妨ぐ』等云云。この釈は、日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて、未来の資糧とせよ」(兄弟抄)と言われているように仏陀同様に仏道修行で一番の難関は「降魔」であり「降魔」の先にしか「成道」は無いのですね。因みに釈尊が瞑想し悟った場所が後にブッダ(仏陀)ガヤ(伽耶)と呼ばれるようになります。こうして仏陀は35歳の時に悟りを開きましたが、自身の悟りを他人に説くことを躊躇いっていたころ梵天(ブラフマン)が現れて世の為人の為に説くことを薦め仏陀は悟った法を広く人々に説くことを決意します。これを「梵天勧請」といいます。「降魔成道」や「梵天勧請」はもちろん事実ではでなくこれらは仏陀の内面の世界を表したものです。これらの物語で分かることは仏教は自分自身に打ち勝つ(降魔成道)ことと布教すること(梵天勧請)が肝要だということです。従って自分だけが信じていば良いという考えや、自分に親しい弟子達だけに説法するという上座部仏教の在り方は仏陀の本意に違うことになるのです。
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