創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

大相撲は日本の文化【文化・芸能】

先月の大相撲九州場所(11月場所)の千秋楽の内閣総理大臣杯授与式に石破首相が欠席、更には内閣関係者が一人も来なかったことがちょっと話題になりました。私は大相撲ファンというわけでないですが、北の湖千代の富士、曙・若貴時代あたりまでは結構相撲を見てましたし国技館の升席観戦の体験もあります。しかし日本人力士が弱くなって朝青龍・白鳳が横綱になった頃にはあまり相撲に興味が無くなりました。大相撲に対してはスポーツや格闘技、或いは神事と人によって捉え方は違うと思いますが、私は相撲は日本文化だと思っているので「強ければいい」という風潮に馴染めません。白鳳が横綱時代にその品格が問題になったときにはその通りだと思いました。日本の法律では「国技」というものはありませんが、それでも多くの人が相撲を「国技」だと思うのは相撲が日本の伝統文化であると多くの日本人が認めているからでやはり大相撲の横綱には日本文化を体現するような所作・言動を求めたいです。さて現在の相撲のルーツとされいる神話が記紀に書かれています。『古事記』の「出雲の国譲り」神話には、建御雷之男神タケミカヅチノオコカミ)と建御名方神タケミナカタノカミ)の「力比べ」があり、建御雷之男神に勝てないと悟った建御名方神は逃走して諏訪湖に引きこもり諏訪神社の神様になったとあり、『日本書紀』には野見宿禰 (のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が、11代垂仁天皇御代の垂仁7年7月7日に対決して宿禰が蹶速を蹴り殺して勝ったという神話があります。勝利した野見宿禰は現在では相撲の神様とされていて、新横綱が誕生すると東京の野見宿禰神社神殿前で土俵入りが奉納されます。この神話には「相撲」という言葉は使われていませんが、宿禰と蹶速が対決した7月7日は奈良時代から平安末期まで「相撲節(すまひのせち)」が宮中で行われていて現在の大相撲の原型になったと言われています。「相撲」という言葉が記録として登場したのは21代雄略天皇の御代に猪名部真根(いなべのまね)のエピソードとして女官に褌1枚の姿で相撲を取らせたという話が『日本書紀』あります。日本初の「相撲」はなんと女相撲だったのですね。女相撲は江戸時代にも行われていて土俵が女人禁制になったのは幕末以降の最近の事です。さて宮中で行われていた「相撲節」はやがて地方にも普及していき神社仏閣の境内でも相撲が「奉納相撲」として行われるようになりました。相撲は最所から神事だったわけではなく「力比べ」から始まって後に神事が取り込まれたのです。因みに日蓮正宗大石寺では第26世法主上人の日寛上人の御命日に奉修される法要(寛師会)後に、相撲が好きだった日寛上人に対して奉納相撲が行われ、大石寺の所化さんや近隣の方々が参加して相撲を取ります。このような法要が奉修されるのは歴史のある伝統宗教ならではで新興宗教団体にはない魅力のひとつです。そんな歴史のある日本文化の相撲で、内閣総理大臣杯という名称がついている授与式に総理大臣本人はおろか内閣関係者が全員欠席とは開いた口が塞がりませしこのような内閣を支持することはできません。故安倍晋三元総理もアベノミクスの失敗やモリカケ・アベノマスクなど決して褒められたものではなかったですが、トランプ大統領を大相撲観戦に招待するなど少なくとも石破氏よりは日本の歴史・伝統文化を大切にしていた点では評価できます。宗教界もそうですが今の時代は伝統や文化をなおざりにする風潮が目立ちます。文化破壊のリベラル派と文化的保守派との「力比べ」の時代です。文化破壊派を寄り切って日本の歴史・伝統・文化を守りたいというのが私の願いです。

 

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