創価ダメだしブログ

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的場正順御僧侶集団暴行事件・池田創価史

母の四十九日で菩提寺に行くと境内の桜が満開となっていた。気がつけば3月もあとわずかだ。私が創価時代は「3・16」は年間通しても青年部として意義のある日だったがいまはそこまで「3・16」は大きく語られない。戒壇大御本尊を捨て大石寺に足を向けない創価民にとって実現不可能な絵に描いた餅となった戸田会長の「広宣流布の模擬試験」は今後も多くは語り継がれることはないだろう。しかしその前後の「エレベーター相承」と「戸田会長の遺言」という池田大作の捏造話はもうしばらくは創価内では語られるであろう。「追撃の手を緩めるな!」という池田以外は誰も聞いていない戸田会長の遺言は昭和33年3月29日。戸田会長逝去の4日前に発せられたとされている。その直前に当時の大石寺所化頭・的場正順師に対する池田参謀室長(当時)達が起こした集団暴行(リンチ)事件がいわゆる『的場事件』『御塔川僧侶リンチ事件』と言われる暴力事件である。この事件の主犯である池田は「小説人間革命・寂光の章」では所化頭を務めていた的場師が、暴言と暴力で小僧さんたちをいじめていたから、宗門の将来を危惧した池田が、御塔川の河原で所化頭を諄々と諭した、ということになっている。集団で御塔川の水に何度も的場師に頭を押し込ませたことなど一言も触れていないが、その事実は当時池田傘下の参謀室に所属していた竜年光氏の証言もあるし的場師自身も池田の指示の元で創価青年部員が数人がかりで的場師担ぎ上げて御塔川に放り込み200人ほどいた創価青年部の連中が罵声を浴びせては代わる代わる的場尊師に馬乗りになって頭を水の中につっこむ等の暴行を受けたと証言している。また「小説人間革命」にはこの事件は偶発的に起きた出来事かの如く書かれているがこれまた竜年光氏や石田次男氏が池田による計画的な犯行であったことを証言している。この事件は大石寺の小僧さんを使いぱっしりにし小僧さんを小バカにしていた創価青年部と青年部の使い走りをし僧侶としての本分を見失っていた小僧さんに注意を与えた的場師に対して池田が怒って集団暴力を振るった事件なのである。池田としては子分である青年部の連に親分としてカッコつけたかったのであろう。そして的場師に「本山には本山のしきたりがある。あなたたちも、本山のしきたりをよく勉強しなさい。例えば、本山の中では乗物は禁止されている。それなのに、あなたたちの会長は、豪華な輿に乗って山内を練り歩き、宗教界の王者といって威張っている。これは増上慢というものだ」と注意されたのが池田の逆鱗に触れたことは想像に難くない。なんといっても戸田会長を乗せた車駕を作ったのは他ならぬ池田なのだから。だから健気な小僧さんをパワハラの所化頭から守り宗門の将来を憂い所化頭を諄々と諭した山本伸一など、どこにもいないのである。そこにいたのは自分に対して文句をつけた的場師を逆恨みして子分たちに命令しその僧侶を何度も川に沈める姿を背広のポケットに手を突っ込んで薄ら笑いを浮かべてみていたヤベー奴・池田大作である。この事件に関しては竜年光氏の著書『日蓮正宗の敵・池田創価学会を解敬させよ』に詳しく書いてあるが私は池田の小説より竜氏の証言の方が真実味があると思っている。(石田次男氏も竜氏とほぼ同様の証言をしている)もっとも創価民は竜年光氏の証言など信用しないだろうが、池田の小説が事実だとしても御僧侶に対していち信徒が注意をすることは信徒として間違っているし増上慢である。しかも的場師は池田より年長者である。仮に的場師に池田の言うような過失があったとしてもそれは池田や青年部員が注意を与えるべきことではない。あくまでも法主上人や宗門の御僧侶に注進し的場師の師匠より注意してもらうべきことである。それが叶わないならせめて自分達の会長である戸田会長に報告し戸田会長より宗門なり的場師に注意勧告するのが仏法における筋道である。そんなことすら分からない池田が「本山のしきたりをよく勉強しなさい」と指導されるのも頷けるのだが池田にはそれを真摯に受け止める信心など有ろうはずもなかったのだろう。もっとも、御僧侶に対する「吊るし上げ」は牧口時代からの創価の悪しき伝統ともいえる。投獄前の牧口・戸田も御僧侶を吊り上げていたし、戦後もこの「的場事件」だけでなく「狸祭り事件」でも同じような事をしている。更にはその伝統は池田が会長になってからは更に酷くなり暴力事件事こそ起こさないまでも末寺の御僧侶を吊るし上げるのは日常的に行われていたことは52年路線の際にハッキリとした。しかも末寺だけでなく総本山や日達上人まで見下し事あれば恫喝していたのが創価学会の歴史である。「平等」「人権」「僧俗和合」などともっともらしい事を言っては在家が出家の上に立ち所化が能化をバカにするという仏法破壊をしてきたのが実は牧口・戸田・池田の三代会長なのである。だから昔も今も創価員は御僧侶をバカにするし創価上がりの法華講員にも御僧侶を蔑視するような講員に時々出会う時がある。それが牧口以来の創価の根本的な間違いなのである。戸田会長については同じ法華講として悪く言いたくはないが、戸田会長もまた信心の何たるかをまだ分かっていなかったのある。ただし戸田会長は本当の法華講になって7年で亡くなっているのでそれも仕方ないとも思うし枝葉の部分では間違いが多い会長だったが根本の部分では正しかったのは事実である。さて、この池田大作が計画・指示した『的場師リンチ事件』は翌日の戸田会長の捏造遺言へと続いていくのだがその話はまた別の機会に書きたいと思う。いずれにせよこのような暴力体質こそ池田創価のDNAなのである。現代でもスラップ訴訟にカタチを変えて暴力DNAは脈々と創価という組織に引き継がれている。でも想像して見給え。御僧侶に馬乗りに建って川に沈めていた学会員が次の瞬間には自分が川に沈めれる側になっているかも知れない。それが創価学会なのである。そうなる前に創価学会から静かに離れていくのが賢明ではないだろか。川に沈めるのも沈められるのも、どちらもイヤじゃないか。

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