創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

『化義抄』を学ぶ㉓(107~110条)

記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。

 

【第107条】所にて仏事作善を広大になす時、其の所の謗法の地頭などの方へ、酒の初ほを進らする事一向世事仁義なり、又其所などに他宗他門の仏事、法会を成す時、其所の然るべき法華宗なんどの所へ酒の初ほをつかわす事有り是は世事の仁義なり、受け取る人も世事仁義と心得、請取る可きなり云云。

「初ほ」は「初穂」(その年に初めて実った稲穂)のことで「珍しいモノ」という意。ある場所で法要等を行う時にその土地の謗法者である地主などに酒を初穂として送ったり逆に他宗他門の法要の時に当宗信徒の地主が初穂を受け取る事は世間的な儀礼であるので差し支えありません。今日でいえば葬儀の返礼品を渡すことも受け取ることも世間的なつきあい、儀礼であるので謗法にまりません。あくまでも世間的な付き合いであると心得て受け取れば(差し出せば)いいという事です。

 

【第108条】法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。

「散供」とは米を撒く事。「花を捧げる」とは当宗においては樒を供えることで、他宗他門の人が当宗の本堂などに散供米や樒を供えてもそれを禁止する必要はありません。何故なら、そのような人は当宗に対して信仰心を持っているので既に「順縁」の人だからです。

◇此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁と云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである(註解第74条)

しかし、御僧侶が御本尊に取り次ぐのは供物の多寡に関わらず受け取った側が与同罪になるので取り次いではならないのです。私は自分が創価員だった時に母を正宗に移籍させました。母を折伏した私は順縁の者だと思いましたがその時に差し出した御供養は受け取ってもらえませんでした。正宗の謗法厳誡の厳格さをしみじみ感じました。しかし一方では本条にあるように寛容な部分も大いに持ち合わせているところが素晴らしいと思います。本条に照らした例えをいうと友人等に何かのお土産などを貰ったとしたとき、相手が「お宅の仏様(仏壇)にもお供えしたください」といって置いていったものはお供えしてはいけませんが、何も言わずに置いて行った時は貰った側(自分)の志で御本尊にお供えるのは構いません。実は私の義母が彼岸などにオハギを持ってきて「仏様用だよ」といって置いていくのですが気持ちは嬉しいですが本条に照らして御本尊にお供えしません。代わりに義母の気持ちだけは御本尊に伝えることにしています。

 

【第109条】非情は有情に随う故に他宗他門の法華経をば正法の人には之を読ますべからず、謗法の経なる故に、但し稽古のため又は文字を見ん為などには之を読むべし子細あるべからず、現世後世の為に仏法の方にては之を読むべからず云々。

「非情」はそれ自体は意志がないので自ずとそれを所持する人(有情)に従います。ですから謗法の人や団体の作成・販売した経本を勤行の時に読んではいけません。同じことが書いてあってもそれは謗法の経本となるからです。ただし稽古や修学の為に他宗他門の出版物を読むことは差しつかえ有りません。例えば「法華経」も教学を学ぶテキストとしての用途であれば他宗他門が出版した書籍でも問題ありません。ただ正宗でも「法華経」は出版されているのでそちらを購入した方が気分的はいいとは思いますが。

◇他宗他門の謗法人の使用したる法華経は、経文に誤謬なきも・一度謗法の人に従ひたるものなれば謗法の経となるが故に・此を直に当流正法の行者の持経として、仏前の勤行等に読ましむべからず、又他宗他門の名に依りて出版せられたる法華経も此に準すべし、故に宗門専用の御経にあらざるものを式の御経とせんには・即ち御影の御備経又は導師の備経下りて衆徒の備経とせんには、謗法臭味のあるものを避けて此を使用するに当り、厳粛なる開光式清浄式を行ふべき事なり(註解第72条)

いずれせよ、いかなる理由があっても創価や顕正などの出版・販売している経本を使って勤行をするようなことは絶対にあってはならないということです。

 

【第110条】袈裟衣等惣じて仏具道具等の事。一向他宗に借すべからず、又他宗の仏具道具等をも法華経の法会に借るべからず、既に非情は有情に随うが故に謗法の有情の道具は自ら謗法の道具なり、但し世事の志にて謗法の道具を正法の方へ取り切り乃至料足などにてかい切って正法の方に成しては子細あるべからず云々。

本条項は前条(109条)と同じような内容で、前条では経本についての御指南で本条は仏具に対する御指南です。袈裟衣を始めとして仏具などを他宗他門に貸しても借りてもいけません。だたし買い取ったり料金を支払って借り上げたりして当方のモノとして使うのは構いません。今日でいえば葬儀で葬儀会社が用意する祭壇や仏具は料金を支払って使用しているので問題はありません。さて例えば創価の友人がいて二人で勤行をすることになったとします。その時には創価の友人から経本や数珠(仏具)を借りてはいけません。なかなかそういう場面に遭遇しませんが私の友人宅は日達上人の御本尊なので一度遊びに行ったときにその家で友人と一緒に夕勤行をしました。その時に経本と数珠を貸してくれると言われましたが断りました。そういう事もあるのでいつも数珠と経本を持ち歩いています。(因みにその友人は折伏しいまは法華講に移籍しました)

 

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