春の統一選挙に向けて創価員各位におきましては、活動・会合・報告に無駄に忙しい日々を送られてていることとお悔やみ申し上げます。(笑)さて、選挙というと必ず学ぶのが、『大阪の戦い』でしょう。特に大阪及び関西の創価員にとっては、『常勝関西』の原点といっていい出来事だから、創価員宅では毎晩子供に「小説人間革命」を読み聞かせているかも知れないね。最近の傾向ではそういうのも「宗教的虐待」になりかねないので注意してね。(笑)『大阪の戦い』とは、1956年(昭和31年)の初頭に山本伸一(池田大作)が戸田会長からの任を受け大阪に派遣され同年の参院選挙に勝利するとともに同年5月には、11,111世帯の折伏の金字塔を立てたという池田の一番の自慢話であり創価活動家なら誰でも知っているエピソードだ。(蒲田同様に池田の個人折伏については何も語られていない)「小説人間革命」には次の様に書かれている。(以下太字は小説人間革命より転載)
▼関西はかつては、東京と比べ会員の世帯もいたって少なく、組織も弱かった。広宣流布の未来構想のうえから、関西の重要性を痛感した戸田城聖は、一九五六年(昭和三十一年)の一月、伸一を関西に派遣したのだ。当初、関西の同志の誰もが、何をやっても東京には敵わないという思いをいだいていた。伸一は何よりも一人ひとりの、その一念を転換することに全精魂を注いだ。「関西に創価の不滅の錦州城を築こう」「日本一の模範の大法戦を展開しよう」 伸一という若き闘将の魂に触れ、関西の同志は心を一変させた。
これを読んだほとんどの学会員は、当時の大阪は折伏も進んでいない弱小支部でそんな弱小支部が池田大作の指導(戦い)で大躍進したのかと思う。私もそんな活動家の一人だった。私は地区リーダー時代には活動家0人の地区。男子部長時代には支部で何をやっても最下位争いしている支部に派遣の正役職として就任したから、この『大阪の戦い』はいつも読み返しては、まずは部員さん訪問と教学と折伏を実践したものだ。弱小組織を立て直すは苦労も多いが楽しいものである。当時の池田もそんな状況だったのだろう・・と思いきや事実はそうではないのである。大阪支部の年間折伏実績を見てみると、昭和29年には全国第2位で池田が派遣される前年の昭和30年には「あの蒲田支部」を抜いて堂々と全国1位の支部になっているではないか。東京と比べれば世帯数は少なかったかも知れないが弱小支部どころか堂々のA級支部だったのである。池田がいなくても大阪支部は前年には折伏日本一になっていたのだ。だから『常勝関西』の原点は池田によって確立されたのではなく既に前年には確立されていたということになる。すでに東京(蒲田)にも勝っているし日本一の大法戦もやり切っている。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのある大阪支部に池田は派遣としてやってきたのである。こうした事実を今の学会員には一切伝えないで、あたかも池田のおかげで大阪が弱小支部から常勝支部へ変わったという印象を与える池田創価特有の欺瞞が『大阪の戦い』のストーリーにも見事に反映されている。そしてもう一点。
▼この年の五月には、大阪支部は一万一千百十一世帯という未聞の弘教を成し遂げ、広布史上に不滅の金字塔を打ち立てたのである。
この創価員に有名な、【11,111世帯の折伏】であるが、当時の聖教新聞(昭和31年6月3日付)の1面には、大阪支部の当時(昭和31年5月)の折伏数は、なんと【11,004世帯】と明記されているではないか。確かに11,004世帯でも素晴らしい結果だと思うが、107世帯もサバを読んでわざわざ11,111世帯と捏造しているのある。確かに「1」のゾロ目のほうがなんとなく意味深な印象を会員に与えるし見栄えもいいが、折伏数まで改竄するとは会員をバカにし過ぎていると思う。もっとも、池田の「自慢話」のほとんどは「欺瞞話」である。創価民は池田がウソをつくはずないと思い込んでいるがそれこそ池田創価の思う壺で、そんな創価民の習性を逆手にとってウソをつきまくっているのが創価学会なかんずく池田大作なのである。創価員が法華講員に対論で勝てないのは、信用してる池田話がウソばかりだからである。(当然、池田が言う大聖人仏法に関する法門・法義・化義もインチキで低レベルな教学である)会内では会員達の善意と盲信でどんなウソでも通用するが対外的にはウソはばれる。特に今の時代は歴史的な事実は直ぐに調べることが出来るから池田の幼稚なウソは直ぐに白日の下に晒されてしまう。実に哀れであり滑稽である。創価員さんもそろそろ池田の与太話を信じないでまずはちゃんと調べてから話すようにしないと「カルト宗教」という世間の評価を変えることはできないと思うぞ。
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