創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

52年路線・宗門視点の真実①

『52年路線』とは池田大作創価の会長職を引責辞任するまでの一連の出来事である。「宗門と反逆者達の学会への謀略・弾圧から創価と学会員を守るために池田は会長職を退いた」というのが概ね池田が主張する真実である。池田がそのように主張するのは自由だが、「事実」と「真実」は違う。池田には「池田の真実」があるように、宗門にも「宗門の真実」がある。『52年路線』を宗門側から見た時に池田とは違う真実がそこにある。それを何度かに分けて書いみたい。『52年路線』とは昭和52年1月15日の池田の講演でのスピーチ(仏教史観を語る)が具体的な発端となった。その内容は、「僧侶・寺院不要論」「創価学会至上論」など事実上の宗門からの独立宣言に等しいモノである。こうした宗門支配又は宗門からの独立思想は何も52年に降ってわいたものではなく

◆一昨年(昭和47年)の秋くらいから、去年を通じ今年(昭和49年)の春にかけて、学会の宗門に対する態度と申しますか、いろいろ僧侶に対して批判的であり、また、教義上においても、我々から見て逸脱していることが多々あるように思われます。それは世間の友好のため、広宣流布のため、という目標によってそうしておると聞きますけれども、そのままにしておいたんでは、それは大問題になりはしないか。終いにおいて取り返しのつかないことになりはしないか。(第66世日達上人S49.7.27)

との日達上人の言葉にあるように正本堂建立を機にすでに池田創価による宗門支配は画策されていた。52年の1月15日のスピーチは池田創価の野望が表面化した日であり池田創価が宗門に対し表立って牙をむいた日である。52年以前にも昭和49年には(財)日蓮国際センターの設立を要求してきた。この国際センターは日蓮正宗の上位組織を作り池田創価が宗門を支配するという内容のものである。簡単に言うと正宗と創価の上に「ホールディングス」をつくり池田たちがこの「ホールディングス」の主要ポストに就くという目論見である。これが宗門支配を目的とした要求である事は後に発覚する、「北条文書」「山崎八尋報告書」を見れば明らかである。当然そんな要求を宗門が認めるはずがなく日達上人がはっきりと破折している。更にこれも後に発覚するのだがこの時期に池田創価は宗門に無許可で本尊を摸刻するという不敬も行っている。そして末寺の学会員の総代を集めて寺の運営に干渉したり「総代会議」を開催し末寺僧侶の吊るし上げを行うことに力を入れた。その一方では学会シンパの僧侶達を供養やもてなしで抱き込み「栄光会」なるグループを作っていた。

◆それは去年、おととしあたりから、総代会議というものを東京でやっています。学会で。その時には―皆な君たちは知らないかも知れないが―君達の悪口を皆な言っているんだ。みんな一々悪口を報告させてやっている。詳しく言ったら大変になる。それだから他の総代も、まるで自分らが何とかすれば、住職なんかどうにでもなるんだ、という頭になっちゃった。大変な間違いですよ。総代は、それは住職の委任に依ってやる。住職がこの人を総代にしてくださいと言って出すからして総代になる。それを、逆に今度は、総代の方が住職の任免権を持っているというような、とんでもないことになりますね。そういうふうにだんだん変になっていった(第66世日達上人 昭和49年7月27日指導会の砌)

また総本山の会計調査まで要求してきた。

◆(学会が)会計を、大石寺の会計を調べるという。大石寺も宗教法人で、その年その年に税務署へちゃんと会計報告してとおっておる。それにも拘わらず、また第三者が来て会計報告まで調べるというのは、どうも私には意味がとれない。その時に北條さんが言うには、もし調べさせなければ手を分かつ、おさらばする、とはっきり言ったのです。 私はびっくりしました。こういう根性じゃ、これは駄目だと。会計を見せなければ自分らは正宗から手を切るというのである(第66世日達上人 昭和49年7月27日指導会の砌)

更に池田は日達上人を罵倒し宗門から創価へ13億5000万円の寄付を要求。会員から集めた御供養即ち大聖人への御供養のキックバックを請求してきたのである。この時の心情を日達上人は次のように語られている。

◆「会長から皆の前で怒鳴られても我慢している、一宗の管長が公衆の面前で怒鳴られて、これで一宗の管長と言えるか。小僧っ子を怒鳴ったような・・私は我慢している。」(日達上人お言葉49・5・9)

昭和50年になると宗門に極秘で、「特別財務」と称して会員から御供養の名目で集金し創価の会館を建設しまくっていたのも来るべき宗門との戦争に備えていたわけである。この「特別財務」は一説には3年間で600億円以上を集めたという。本来であれば御供養として大聖人(大御本尊)に供養されるべき会員の供養を池田創価ネコババしたのである。もっともこの「特別財務」で建設した会館は法令違反や池田専用施設を作っていたことを当時の民社党に調査され慌てて建設費と同額の金額で解体したり池田専用施設を作り替えたりしたのである。この他にも当時の池田創価による宗門支配・独立作戦はあるがとにかくやりたい放題だったのだ。創価民は池田創価が宗門を護ってきたかのごとく触れ回っているが実際には宗門・御僧侶を軽賤し罵倒し恫喝し脅迫して時の日達上人等を悩ませ苦しませていたのである。それでも日達上人は宗門僧侶の学会への不満や怒りを抑えてたのである。逆に池田が真実と言う宗門による創価への弾圧・迫害したという事実は何もない。それが事実である。そうした様々なベースがあって昭和51年暮れの衆議院選挙で公明党が大勝利をしたことで時機到来と思った池田は明けて52年1月15日に、例の『仏教史観を語る』の発表をしたのだ。当然、この原稿は一日で作成できるはずもないから、かねてから用意しておいたものであることは想像に難くない。冒頭にも書いたが『仏教史観を語る』に書かれている内容は、1に在家でも供養が受けられる。2に創価学会が在家・出家の両義を兼ねる。3に会館が近代の寺院であるという内容だった。これに対して日達上人は、

◆今朝の聖教新聞(『仏教史観を語る』)を読まれて承知していることと思うが、最近、宗門と学会の間に冷たい隙間風が吹いてきた感じで困ったことである。 宗門としては今後向こうがどう出てくるか静観していこうと思う。寺としては、参詣に来る人を大切にし、信仰をすすめ、法門を説いていってもらいたい。また、相手が何を言ってきても、腹を立てないようにしてほしい。(中略)昭和54年が学会の創立50周年に当たる。これを契機にどういう展開になるか判らぬが、この3、4年、静観していく。将来、学会と訣別することになるかも知れぬが、その時はその時で去る者は追わず来る者は拒まぬつもりだ。そしてクルミのごとく、堅くジッと古来の正宗の形を守っていこう。その時こそ我々は、自分のもつ力を最大に発揮し、折伏して大きくしていこう(第66世日達上人・昭和52年1月17日)

とあくまでも静観を決め込んだ。しかし池田は5日後の1月20日の第1回広布会で3時間に及ぶ宗門誹謗スピーチ(聖教には不掲載。後にスピーチ内容が発覚)をし、各部に創価独立路線を徹底した。そして池田は原田(現会長)・野崎勲(故人)に命じて「伸一会」(対妙観講組織としてつくられた)を中心に日頃、創価学会に対して批判的な日達上人のお弟子達を青年部が集団で吊し上げ詫び状を書かせるという暴挙に出るなど青年部幹部が僧侶を学会本部に呼び付けたり会館や寺院で吊し上げた。汚ない言葉で罵り、大声で怒鳴りつけ、辱め、それでも頭を下げない僧侶に対しては、「お前が謝らないなら、総本山へ大挙して押しかけ、猊下を吊し上げるぞ!」と脅した。事ここに至りあまりの池田創価慇懃無礼な振る舞いと謗法を看過できないという事態となり、ついに正宗側の創価への反撃が開始されるのである。というわけで今回はここまで。to be continued・・・

 

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