創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

名誉博士号を自慢する池田創価に思う事。

大聖人仏法のの法門・法義については低レベル過ぎてお話にならない池田大作氏であるが、みなさんご存知の通り多くの大学から【名誉博士号】をもらっている。なんだか知らんけどカネコ夫人もどこかの大学の【名誉博士号】をもっているそうだ。名誉学位は特別な功績がないともらえない学位で一般の博士号より取得が難しいと創価では宣伝している。まぁアメリカなど大学によっては博士号などの学位を金で買える大学もあるからそんな大学の学位は確かにたいしたことはないだろうが名門大学の学術的学位は誰もが取得できるものではない。さて、名誉学位には本当に学術的な功績がある学者に贈られるものと大学に対する経済的貢献に対して贈られるものの2種類があるらしい。池田氏やカネコ夫人に学術的な功績はないから池田夫妻に贈られた【名誉博士号】という学位は大学への経済的支援の功績を認められてのモノなのは確かだ。だから学位や勲章などを「金で買った」と言われても仕方ないし、そのような名誉学位が学授的な学位より価値が高いわけはない。聞くところによると池田氏のような形で名誉学位を取得した人は「○○博士」とか「Dr.○○」とか呼ばせないらしい。名誉学位しか持たないのにそのような呼び方をすると世界的には学位詐称との批判を受けかねないからだそうだ。批判どうこうというより普通に考えたら何も学術的な功績が無いのに「博士」とか呼ばれてた自分が恥ずかしいよね。それを機関誌に堂々と「池田大作博士」とか書いて載せているのだから何とも無恥としか言いようがない。まぁ、それはどうでもいい。池田氏が本物の博士ではないことは全世界の常識だからせめて身内だけでも博士と呼んであげて欲しい。折角、会員の財務を寄付してまで頂いた博士号だ。「博士くん」って呼んであげないとお金が無駄になってしまう。私が思うのは池田氏が様々な・称号を受賞する度に、本館で勲章をつけいたり大学帽子にマントを羽織って登場する姿に「金ぴかの仏像」を想像し、この姿はあたかも三二相を供えた本果妙の仏(実際は提婆達多だけど)なのではないか?ということだ。大聖人の仏法はこうした「金ぴかの仏」を目指していないしそれは本当の成仏とはいえない。池田発言に、

▲「アルゼンチンから五月の大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。」

という言葉があるが勲章をもらうことは妙法でも信心でもないと思うのだが。しかも無信心のいわば謗法者から勲章をもらうのは大聖人仏法の信心であるわけがない。世事として勲章や学位を貰おうが買い取ろうがそれはいいんです。でもそれは信心ではない。それが信心ならば池田・カネコ以外の学会員は「信心が無い」ということになる。それとも池田が勲章や学位を貰うための金銭を供給したから成仏するのか?それは池田仏崇拝の新興宗教の信心ではあるが「妙法」ではない。

◆教弥よ実なれば位弥よ下れりと云う釈は此の意なり(四信五品抄)

と御書にあるように、我々のような何も持たない荒凡夫でも折伏ができるのは「教」即ち御本尊の力がホンモノであるからだ。逆に

◆天台云く「教弥弥権なれば位弥弥高し」(立正観抄)

とあるように。勲章や称号を自慢するのは池田思想が「権」であり「低レベル」であるからこそだろう。いずれにせよ勲章や称号で身を飾るような成仏は大聖人の仏法には無いのである。ましてや【名誉博士号】を権威ある学術的な博士号よりも価値があるだなんて嘘をつくのは三二相の仏に二相及ばなかった提婆達多

◆螢火をあつめて眉間につけて白毫と云ひ千輻輪には鍛冶に菊形をつくらせて足に付けて行く(法蓮抄)

のような愚行を犯したのと同じだ。つまり勲章や称号をまとった「金ぴか大作仏」は現代の提婆達多だと思うわけだ。

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